みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

思い煩いを神にゆだねて

2015年03月12日 | ペテロの手紙第一

ペテロの手紙第一 5章

 分厚い聖書の中でも、愛唱し暗唱している聖句を持っているキリスト者も多いと思います。その一つに、きょう読んだ中にある5章7節があるのではないでしょうか。このことばを、前後の流れの中で読もうとすると、どのようになるのでしょうか。

 6節と7節はつながっている文章です。ですからここは、5節から始まる教会の若い人たち(牧会者の指導下にある人々)のために勧められている中で言われていることばだとわかります。教会では牧会者のもとで歩んでいる人々が、時に牧会者の指導に不満を覚え、自分のほうが良く知っているとか、うまくやれるなどという思いが高じることがあります。ですからペテロは、高ぶらず謙遜を身に着けるよう、神の力強い御手の下にへりくだるようにと勧めるのです。

 不満は様々な思い煩いをもたらします。しかしここでは、何よりもそれらを神にゆだねるようにと言います。なぜそれが大切か、神が心配してくださるからなのです。

 自分のことは自分がよく知っている…と思っていますが、ほんとうはそうではありません。私のすべてを裏も表も、外も中も知っておられるのは神です。その神が心配してくださるのだから、自分があれこれと思い煩うことはありません。

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残された時を

2015年03月11日 | ペテロの手紙第一

ペテロの手紙第一 4章

 3月とは思えない寒い朝でした。朝歩きの途中の水たまりや水路は凍っています。きょうで東日本大震災発生から満4年になりました。覚え続けるというつとめを、きょうから始まる5年目も果たしたいと祈りました。それにしても、「復興」を既成事実にしようとするいろいろな政策が気になるところです。

 きょうの箇所を読むと、「時」を意識します。「残された時」「過ぎ去った時」「万物の終わりが近づきました」「キリストの栄光が現れるとき」「さばきが神の家から始まる時」。信仰ゆえの激しい迫害にさらされる読者たちにとって、できれば来ないでほしいとか、早く過ぎ去ってほしいなどと、時を意識せざるを得なかったのではないでしょうか。

 私たちもいろいろな局面で時に区切られ、迫られます。原稿の締切、賞味期限、発車時刻、集合時刻などなど。やらなければならないとわかっていながら、「その時」が迫っていよいよ! でなければ腰を上げない人もいます。私も放っておけばそんなタイプです。迫っているからちゃんとやらなければと思いますが、きょうの箇所にあるのは、迫っていてもいなくても、意識しし続けるキリスト者の日常。

 今の教会の責任もあと二十日ほど。「迫っていてもいなくても」などと書きましたが、やはりお尻に火がつき始めました。たいへん!

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弁明できる用意を

2015年03月10日 | ペテロの手紙第一

ペテロの手紙第一 3章13−22節

 激しい雨も上がり、早朝の祈禱会のため家を出る頃にはくっきりと晴れ渡った空が。雨が大気をきれいにしてくれたのがよくわかる朝でした。そういえば、日の出が早くなりましたね。もうすぐ春分の日。

 信仰ゆえに苦しめられることで心を動揺させずにかえって、弁明する用意をしていなさいとペテロは勧めます。間近に迫っている大迫害を予告するかのようなことばです。

 このことばをペテロが書いているということの意義を、思い巡らしてみました。ペテロは主イエスが逮捕され、大祭司の家に引いて行かれた時に、後について行きました。その家の中庭で、彼は主イエスを知らないと三度も言ってしまうのです。「心を動揺させたりしてはいけ」ないと書く時、彼は自分がかつて動揺してとんでもないことをしてしまったのを思い起こしていたのでは、と考えるのです。彼は自分の苦い体験をさえ神が用いてくださるのだということを、どれほど感謝しながら手紙を書いたことだろうと、想像します。

 追いつめられたときこそ、神が賜った自分たちの希望について弁明するチャンスなのですね。

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受け継ぐために

2015年03月09日 | ペテロの手紙第一

ペテロの手紙第一 3章1−12節

 土曜日に、最近新築したお家を訪ねました。まっすぐな階段がとてもおしゃれだなと思いました。伺うと、階段の一段の高さが普通よりも低めに造られているとのこと。そういえば、帰宅して自宅の階段を昇り降りしてみましたら、確かに先ほどのお家のほうが無理なく昇れそうだと実感できました。ウーーム、よく考えられている。

 キリストを信じる者は、この世にあっては旅人であり寄留者だとペテロは書きました(2章11節)。「異邦人の中にあって」とも言います。旅人だから「旅の恥はかき捨て」ということではなくて、「りっぱにふるまいなさい」と勧めています(2章12節)。それでは、旅人として寄留者としてどのように歩むのかは生活の様々な面に具体的に現れていきます。

 最も基本的な人間関係である結婚生活ではこうだと、ペテロは書きます。そして8節以降では、異邦人の中にあって歩むクリスチャン同士、つまり教会での交わりがどのような者かを勧めているのです。

 心に留めたのは、「受け継ぐ」ということば。いのちの恵みをともに受け継ぐ者として妻を尊敬しなさいとクリスチャンの夫に勧め、祝福を受け継ぐために召されたのだから、悪や侮辱に対して祝福で返すようにとクリスチャンに勧めます。イエスさまの十字架の血によって贖われ、神のことばによって新しく生まれた者は、神さまからの測り知れない祝福を受け継ぎました。それを自分のうちにで留め置いて満足しないで、特に厄介な人間関係の中でこそ与えるようにと勧められていることに驚き、教えられます。

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みことばの乳

2015年03月07日 | ペテロの手紙第一

ペテロの手紙第一 2章1−10節

 大学時代同じサークルにいた友人から電話をもらいました。今度みんなで会おうよとの誘いでした。年に一度、年賀状のやり取りをするだけでしたが、つながっているのだと思うと嬉しくなりました。さて、互いにどんなふうになっていることでしょうか。

 主イエスの血によって贖われ、神のことばによって新しく生まれた者は、誕生した赤ちゃんが日々成長するように、成長し続けていきます。赤ちゃんといえば、昨年12月に生まれた赤ちゃんと教会のみなさんは日曜日ごとに会うわけですが、一週間見ない間の成長にみなさん驚きますね。おっぱいを飲むだけなのに、どうしてこんなに大きくなるのだろうか…と、私などは思います。私たちが「飲む」のは神のことば。ここにはクリスチャンが成長するためのものがすべて詰まっています。そのように考えると、すごい! ですね。

 この教会で最初に洗礼を受けた義母は、大判の聖書に「みことばの光」を挟んで日々聖書を読んでいました。末期のガンに冒され、召される前の日まで聖書を読み、その日の聖書箇所にうなずいて主の御許(みもと)に行きました。いつも、どんな時でも礼拝での「指定席」に座し続ける姿が教会の励ましでした。

 いろいろあるけど聖書を読む、のです。

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