コリント人への手紙第二 12章11−21節
夕方、クリスマス市に出かけました。たくさんの人で賑わっていましたが、週末はこんなものではないのでしょう。心身とした寒さの中で体が冷えてしまいましたので、長居はしないで帰宅しました。
パウロは11章5節に続いてここでも、「あの大使徒たちに少しも劣るところはなかった」と書いています。「大使徒」というのは、恐らくコリントの教会を荒らしていた偽使徒たちが自分たちのことをそのように語っていたのでしょうか。あるいはコリントの教会がすっかり彼らの術中にはまって「大使徒」と呼ぶようになっていたのでしょうかか。
繰り返し書きますが、パウロが愚かなことだと言いながらも自分のことを誇っているのは、コリントの教会が「キリストに対する真心と純潔から離れてしまう」のを心配していたからに尽きます。パウロがコリントの教会に負担をかけないようにと金銭的なものを受け取らなかったことが、どういうわけか、パウロは人をだましているという非難になってしまっていることに驚きます。悪魔は、福音の働きを妨害するためにはどのようなことも用いるのです。
パウロの足下に及びませんが、私も金銭のことでうわさを立てられたことがありました。それを耳にしたとき、「エッ? そんなに持っているって!」と自分でびっくりしてしまいました。
19節を何度を読み、「キリストにあって語っている」ということばに心を留めました。批判を受けたとき、誤解されたとき、「なにを!」といきり立つのではなくて、なぜそのようなことが起こったのだろうかと考えること、自分をよく振り返ること、そして語る機会をいただいたときには「神の御前で、キリストにあって語る」ことをここから教えていただき、感謝します。