雅歌 8章
雅歌の終章。信仰をもって間もない頃、5節の「自分の愛する方に寄りかかって、荒野から上って来る女の人はだれでしょう」をそのままテーマにした話を聞いたことがありました。内容はすっかり忘れてしまいましたが、不思議なテーマだと今でも覚えています。
雅歌は男性と女性の対話だけでなく、その合間に「エルサレムの娘たち」と呼ばれている人々を初めとして、幾人かの登場人物がいます。「自分の愛する方に寄りかかって…」と尋ねたのは誰か、エルサレムの娘たちだとも考えられます。こんなふうに思われ、ことばをかけられたら、どんなに嬉しいことかと思いました。最初ははやし立てていた彼女たちも、今は二人の愛が真実なものだと認めるのです。
6−7節は、たとえば「オラトリオ雅歌」という曲があったとしたら、最も強烈な部分でしょうか。愛は押印になぞらえられます。一度印を押したら決して消されることはない、他者が介入する隙はない、だれも愛の炎を消すことはできないほどのものだと、響き渡るのです。これほどのものだからこそ、財産を持ってしても手に入れることができず、そんなことをしようものなら、周囲からの蔑みを受けるのは必至だと歌います。
ここを読んで、神の愛を思いました。「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された」というヨハネの福音書3章16節のことばが心に湧いてきます。