出エジプト記 14章
きょうは母の命日だと、カレンダーからリマインドが届きました。2007年でしたので、17年前のこと。その一週間前、入居していた特別養護老人ホームでユニークな信仰告白をしバプテスマを受けました。母らしい凱旋(がいせん)でした。
本日の箇所は、聖書全巻の中でも劇的な情景が描かれています。真夜中にエジプトを出たおびただしい民を、ファラオが軍勢を整えて追い迫ります。5節に「われわれは、いったい何ということをしたのか」というファラオのことばがあります。それは、主がファラオの心を頑なにしたからだとその前に書いてあります。
ファラオが物分かりがよくなったのでイスラエルの民は安心してエジプトを出たと、話は展開しません。なぜこのようなことになるのか。「わたしはファラオとその全軍勢によって栄光を現す」との主のことばに目が留まります。主なる神は人の思いや企てよりもはるかに高いお方。反対者さえもご自分の栄光を現すために用いるのです。
追い迫るファラオの軍隊を見上げた時の、イスラエルの民の恐怖の叫び。彼らは主に叫んだのですが、すぐにモーセを責めました。このようにすることによって彼らは、ただおひとりでファラオに勝利し、ご自分の力で彼らをエジプトから連れ出された主を責め、主に文句を言っているのです。
しかし、ここでの民の姿を愚だと言い切ることは、私にはできません。人生において何度このようなことを繰り返してきたのだろうかと、思わざるをえないのです。
このような大パニックに陥る民に、モーセは語るべき最も大切なことばを届けました。「恐れてはならない」です。このことばをきょう、いつどこで自分に言い聞かせるでしょうか。