エゼキエル書 36章22−38節
きょうは500年目の宗教改革記念日。いつもの年、当地が含まれるヘッセン州はこの日を祝日とはしないのですが、今年はすべての州が祝日としています。各地の教会で記念行事が行われます。私たちも友人に誘われて70キロほど離れた町の教会の記念礼拝に参加します。
ここには、「あなたがたのためではない」ということばが繰り返されています。神がイスラエルを回復する理由です。神の御名が聖であることを示すためにであって、あなたがたのためではないのだというのです。もちろん神がイスラエルを顧みないということではありません。彼らは神の御名が聖であることを証しするために選ばれました。しかし、長い間かけて彼らはその反対に走ってしまったのだといえます。
民が台無しにしたものをご自分で取り戻そうとしているというのが、イスラエル回復の理由です。
さらにここには、神が一方的に民を顧みることも見られます。きよい水を振りかけて汚れからきよくするのは神、新しい心、新しい霊を与えるのは神、石の心を取り除き肉の心を与えるのは神、そして、たくさんの物を用意するのも神です。
「あなたがたのためではない」とは、神をあがめて生きる、自分ではなく救い主を指し示して歩め、ということではないかと、私には響きました。そのようでありたいと願います。