レビ記 11章29—47節
1月はきょうで終わり。私にはいろいろなことがぎゅっと詰まったような一ヶ月でした。当地の雪は昼過ぎには雨に変り、夕方にはほとんど消えてしまいました。でも、今朝の朝歩きは要注意。まだ湿っている道の中には凍っている場所もあり、ツルっと滑りました。
11章後半には、地に群生するものが死んだ場合の留意点、食用として買っている動物が死んだ場合に留意すべきこと、そして地に群生するものを食べてはならないとの命令が記されます。死んだ生き物が落ちた器(食器)やかまどを粉々に砕くなどとの指示からは、死んだ生き物に発生する何らかの菌の伝染を防ぐという理由があったのかもしれません。神は私たちの肉体の健康に配慮しておられるのです。
「聖なる者となりなさい」ということばに目が留まります。しかも、「わたしが聖であるから」と主はおっしゃいます。「前後の関係から考えれば、汚れたものだと神がお定めになったものに触れたり食べたりして身を汚さないということ。それによって、イスラエルは神が聖いお方だということをその身をもって現すということでしょう。
主は「わたしは、あなたがたの神となるために、あなたがたをエジプトの地から導き出した主であるから」ともおっしゃっています。神はこの民を愛しあわれんで、あの奴隷の国から連れ出してくださったのです。この愛に応えて、彼らは聖なるものとなるとの求めに応えます。自分がどこから救い出されたのかを忘れずにいることが、神のことばに従おうとすることの動機なのだ、ということを覚えました。