みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

大能の力によって

2015年01月16日 | エペソ人への手紙

エペソ人への手紙 6章10−24節

 昨日食べた行田のぞみ園の林檎ケーキはほんとうにおいしかったです。「自分たちのところのものでしょ?」とおっしゃるかもしれませんが、「おいしい!」です。今は貯蔵技術が優れているのでしょうか、紅玉林檎がまだお店に出ています。紅玉はお菓子に加えるととてもおいしいですね。お近くの方、どうぞ…! といっても、今シーズンは終わりかもしれません。

 エペソ人への手紙の終わりの部分には、見えない敵との戦いに勝利するため装備せよと命じられています。「真理の帯」「正義の胸当て」「平和の福音の備え」「信仰の大盾」「救いのかぶと」「神のことばという剣」。これらはすべて神がイエス・キリストによって信じる者たちに備えてくださったものです。そして、戦いに際してこれらの武具がよりふさわしい働きをするために、祈りがあると考えることができます。

 「みことばの光」にはこの手紙が書かれた時代の背景についての説明がありました。「ローマの平和」と呼ばれる戦争のない時代の中でも、教会は目に見えない敵との間に激しい戦いを繰り広げていたと…。それは、今も変わりがありません。見えない強大な敵は、あらゆる手段を講じて教会に戦いを挑みます。ボォーッとしていると、足下をすくわれてしまうようなことが起こりかねません。

 心に留めたのは、パウロが「祈りなさい」と勧めるばかりでなく、「祈ってください」と手紙の読者たちに願っていることば。どんな人も、どんな働きも、祈りなくしては一歩も進まないことを教えられます。

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主に仕えるように

2015年01月15日 | エペソ人への手紙

エペソ人への手紙 6章1−9節

 昨日の朝刊(朝日新聞)に、山田硝子店の相談役をしておられる山田晶一さんという方の話が載っていました。

 お父さんが創業した硝子店を、お父さんの急死で大学4年の時に引き継いだ山田さん、実際に経営していたは義兄たちだったそうですが、大赤字。そればかりか下の兄はお得意さんごと連れて独立してしまいます。山田さんは衝動的に睡眠薬一瓶を飲みますが、幸いいのちを取り留めます。これを機に山田さんは、トルストイのキリスト教隣人愛に心酔し、一旦いのちを捨てたのだからと、自分を、自己愛を、エゴを捨てることにして他人への愛に生きる決心をします。

 そして、その姿勢を経営に反映させるのです。社員に利益の25%をボーナスとは別に払うと約束し、利益の5%を私より生きる権利を奪われている人たちに寄付するとも約束しました。すると会社は5年で累積赤字を一掃。以来ずっと黒字なのだそうです。裏切った兄の会社が行き詰まった時には、会社ごと引き取ったといいます。「赦すことも愛」だとして…。

 「主の教育と訓戒によって」、「キリストに従うように」、「心から神のみこころを行い」、「主に仕えるように」などということばがきょうの箇所に連なっています。見えないお方を恐れて、そのお方を大切にし、そのお方の心を頂戴して歩むならば、家庭も、職場も、事業も、そのお方からの豊かな祝福にあふれる…、と心強くされます。

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互いに従いなさい

2015年01月14日 | エペソ人への手紙

エペソ人への手紙 5章21−33節

 今の時期、「やーきいもー、いしやーきいもー、やきたてぇー!」と鳴らしながら、焼き芋屋さんが車で通っていましたが、この辺りでは最近は聞かないですね。スーパーで買えるようになったからでしょうか。先日市内の別のスーパーに行きましたら、焼き芋が100円(税込)。いつも行くスーパーは150円(税別)でしたので、随分安い! 買ってしまいました。いろいろとおいしいお菓子が並んでいますが、焼き芋はまた別格のおいしさだと思います(好きなので…)。

 私の場合、「そのとおりだ!」と胸を張ってではなくて、「まだまだだなぁ」と心刺されながら読むのが、きょうの箇所。「みことばの光」が書くように、「妻は夫に従え、夫は妻を愛せよ」というような一方通行を教えるのではなくて、それぞれに届けられている命令は「互いに…」なのです。

 パウロは、「夫は妻を自分のからだのように愛さなければならない」と書いています。それは、この手紙の前半で述べてきたことを土台にしているのです。つまり、夫と妻は「キリストのからだ」というひとりの人の部分だということです。からだのある部分が他の部分を顧みず、支配することに躍起になるとしたら、病気にかかるということです。

 ですからここを読むのは、「ふたりは一体となる」という結婚の奥義に引き戻されることなのです。

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…らしく

2015年01月13日 | エペソ人への手紙

エペソ人への手紙 5章1−20節

 朝早くの祈りの会に参加していると、季節の変化をいろいろなところで感じることができます。一番寒い時期で空気がキーンとしていますので、空がとても美しいです。教会に着いた時には星が瞬いていたのに、祈りの会を終えて教会を出る時には明るくなっています。光は闇を追い払うのですね。

 「みことばの光」がまとめていますが、きょうの箇所ではキリスト者を何かにたとえ、なぞらえています。「愛されている子どもらしく」、「聖徒にふさわしく」、「光の子どもらしく」、「賢い人のように」というように…。

 「賢い人のように」ということばに目が留まりました。「おまえはバカだなぁ」と子どもに声をかけ続けていたら、なかなか上達、成長はしませんね。「やればできる!」などというのも、(やらないからだめなのだ)という思いが秘められていますから、必ずしも相手を動かす正しい動機づけではありませんね。

 「キミは賢いんだ」「こんな良いところがある」といつも言われている子どもと、「どうしてできないの!」「…ったく、いつものろまなんだから…」と言われ続けている子どもと、どちらに可能性が拡がっているかは、言うまでもないでしょう。

 「…らしく」などと言われると、「とても、そんな!」と尻込みしそうな気分ですが、別の見方をすれば、私たちがイエス・キリストによって神から賜った新しい立場がどんなにすばらしいものかを伝えているとも言えます。

 誰かから、あなたはクリスチャンなのかと問われたら、「大した者じゃないんですよ」などと答えるようなものではないということです。

 

 

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新しいひとりの人

2015年01月12日 | エペソ人への手紙

エペソ人への手紙 4章17−32節

 フランス各地でのテロ抗議のデモに、370万以上の人々が参加したと報じられていました。どんなに気に入らなく腹立たしいことでも、自分の意に添わない人を封じ込める道は行き詰まるのは目に見えています。各国首脳が並んで行進する中に、普段は敵同士のイスラエルとパレスチナの首脳の姿があったのが心に留まります。

 日本はきょうが成人の日。晴れ着で飾った新成人が町を歩くことでしょう。きょうの箇所には「新し人を身に着けるべき」だとの勧めがあります。新しいひとりの人となったキリスト者は、それにふさわしい新しい服を身にまとうのです。これまで着ていた古い人という服は「人を欺く情欲によって滅びて行く」ものでした。それを脱ぎ捨てて「神にかたどり造り出された」新しい人を着て、颯爽(さっそう)と歩き出します。

 それは「おのおの隣人に対して真実を語る」という歩みをします。憤ったままではいないこと、盗まずに骨折って働くこと、聞く人に恵みを与えることばを用いること、そして互いに赦し合うことです。

 どれもが、聞けば美しくうなずく一つ一つのこと。けれどもいざ実行! となるといろいろな困難が目の前に…ということかもしれません。キリストによって「新しいひとりの人」に造り上げられたという、自分の身に起こった事実が困難を切り抜けていく力になると思いました。

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