ヨハネの福音書 21章1−14節
昨年9月から、近隣に住む同胞に「パンと魚」というフライヤー(教会の読みもの)をポスティングしていて。しばらく「パンの話」を続けています。
この箇所にも「パンと魚」が出てきます。
復活したイエスは、再び弟子たちにご自分を現すのですが、場所はティベリア(ガリラヤ)湖畔。元々が漁師であったペテロたちは夜の漁に出かけます。しかし、何も捕れませんでした。あるいは彼らは、漁師として再出発をしようとしていたのかもしれないと想像するような行動です。
同じようなことが以前にあったと思い出す人もいるかもしれません。ルカの福音書5章初めに書かれている出来事です。まるで同じような体験をペテロたちはしていたのです。その時彼らは、「すべてを捨てて」イエスについて行くことになりました。
何かに行き詰まった時に、出発したところに戻ることの大切さがよく語られます。イエスはこの時、彼らに漁師としてではなく、ご自分の弟子としての再出発の機会を与えられたのだと思います。
目に留まるのは、彼らのためにすべてをイエスが整えておられたということです。網を降ろす場所について、炭火を、パンと魚を、イエスが用意しておられました。イエスについていこうとするとき、イエスのためにあれも、これも…というような考えが湧いてくるのですが、よく考えてみるとそうではないということに気づく出来事です。
ついていこうとする者のためには、イエスがすべてを整えてくださるのです。それは間違いのないこと。