みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

繁栄を取り逃がす王

2016年08月31日 | 歴代誌第二

歴代誌第二 24章

8月もきょうが最後の日。西日本は猛暑、東日本は台風の襲来で大変だったことでしょう。こちらは陽射しは強いのですが、一足先に秋の空気を感じ取っています。

 7歳で王になったヨアシュは、神がダビデの子孫にお与えになったともしびでした。祭司エホヤダの後見によって、ヨアシュ王は主の宮の修理を成し遂げました。ここまではよかったのです。

 ところが、エホヤダの死後彼の態度は全く変わります。きっかけは17節。「…ユダのつかさたちが来て、王を伏し拝んだ。それで、王は彼らの言うことを聞き入れた」とあります。つかさたちが何をヨアシュに言ったのかは歴代誌からはわかりません。また、列王記第二12章にもヨアシュ王の治世のことが記されいるのですが、エホヤダの死後の表現ぶりについては触れられていないのです。

 つかさたちが「伏し拝んだ」とあります。これが、ヨアシュの主への心を翻させるような契機となったのではないかと考えます。エホヤダが生きている間、ヨアシュは何をしても「エホヤダがいるので」と評価されていたのかもしれないと想像します。そんな時、自分を「伏し拝む」つかさたちの態度に舞い上がり、主に背いて偶像を拝みたいとの彼らの願いを受け入れてしまったのではないでしょうか。そしてこれは、「みことばの光」が解くように、強い指導力を持った人物の後に起こった反動なのかもしれません。

 王を思い、国を思い、何よりも主のみこころを思ってしてくれた、大恩人の子祭司ゼカリヤの直言を受け入れずに殺してしまうなど、もってのほか。

 ゼカリヤが死の間際に言った「主がご覧になり、言い開きを求められるように」ということばを心に留めます。これは、ヨアシュだけでなくすべての者が心すべきことです。

*フランクフルト大聖堂(ドーム)のオルガン

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一般の人々は

2016年08月30日 | 歴代誌第二

歴代誌第二 23章

 8月が終わろうとしている今、「みことばの光」は12月号の編集に取りかかりました。「光ややみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった」とヨハネの福音書の出だしにあります。南王国ユダが存亡の危機という暗黒時代を通される中でも、「主はダビデとその子孫にいつまでもともしびを与えようと、約束されたからである」とのことばどおりのことが志を抱く人々によって起こるのです。

 それにしても、生まれて間もないヨアシュを6年間もアタルヤに見つからないようにかくまうというのは、どれだけ難しいことだろうかと思うのです。アタルヤ以外のすべてが「結託」するほどのものがなくては発覚してしまうのではないか、と考えました。それはつまり、ユダの多くの人々にとってアタルヤは恐怖の対象以外の何ものでもなく、彼女には人望がなかったということを暗に伝えているのではないでしょうか。

 また、暗黒時代に、ダビデの子孫にともしびを絶やさないために神がお用いになったのは、ヨアシュをかくまったエホヤダと妻のエホシェバだけではありません。22章1節には「エルサレムの住民は、彼の末子アハズヤを…王とした」とあり、23章8節には、「レビ人およびすべてのユダの人々は、…」と、そして21節には「一般の人々はみな喜び…」とあります。

 「一般の人々は」(新共同訳聖書「国の民は」)ということばを心に留めました。教会の歩みにも大切なことを教えているように思うのです。

*フランクフルト大聖堂(ドーム)内部〜主イエスと弟子たちの表情が生き生きとしてます

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細い絆を

2016年08月29日 | 歴代誌第二

歴代誌第二 22章

 8月最後の日曜日をどのようにお過ごしでしたか。当地は月曜日から気温が一気に7−8度下がるとの予報が出ています。夏が終わるのだと思うと、ここ数日の暑さがいとおしいように感じます。日本では強い台風10号の影響が出始めているようですね。

 日曜日から、歴代誌第二を再び読むようになりました。とくに21—22章は、南王国ユダの暗黒時代が描かれています。善王と評価されたヨシャパテが北王国イスラエルのアハブと縁を結んだことがきっかけとなって、ユダはアハズの家に取って代られるような大きな危機を迎えているのです。

 そのような中で、神はダビデと結ばれた契約のゆえに、ダビデとその子孫にいつまでもともしびを与えようと、約束したことを実行しておられます。それは、悪王ヨラムの子どもたちが敵の襲来で奪い去られてしまっても、末子であるエホアハズ(アハズヤ)をお残しになったことに、まず現れています。ところが、王になったアハズヤは、母アタルヤの助言どおりに悪を行ったために殺されていまいます。そして、アタルヤは息子が殺されると知ると、ユダを乗っ取るためにユダの王家の子どもたちを皆殺しにします。

 しかし、ここでも神は祭司エホヤダの妻の手によって、生まれたばかりのアハズヤの子どもを六年間神殿の一室にかくまうことによって、ダビデの家を絶やさないようになさいます。

 この時代、ダビデの家は極めて細い絆でかろうじてつながれていくことがわかります。その先に、イエス・キリストがお生まれになるのだということを覚えるときに、ここで描かれていることが今の私にも通じるのだという感慨を抱くのです。

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ローマでのパウロ、そして…

2016年08月27日 | 使徒の働き

使徒の働き 28章17−31節

 昨年の11月に仕込んだ手作り味噌(キットとしてあるのですね)が食べ頃に…。2種類の味噌がほぼできあがり! 先日の削り節器といい味噌といい、日本ではやらないことに挑戦するというのがおもしろいと思います。取り組んでいる何かが完成、仕上がる時というものがあります。パウロのローマへの旅はどうだったのでしょうか。

 パウロはローマに着きました。しかし、これでおしまい、休めるということではありませんでした。これまでしていたことをローマでも続けたのです。それは、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教えるということでした。「みことばの光」には、「31節の終わり方は未完のように思える」とあります。別の解説には、「あっけない幕切れと言えなくもない」とありました。あまりにも終わり方が簡単なので、この続きがあったのではないかなどと推測がされています。

 パウロがこの後どうなったかについては、使徒の働きからはわかりませんが、パウロはローマの獄中からいわゆる獄中書簡と呼ばれる「コロサイ」「ピレモン」「エペソ」「ピリピ」を書いたと言われています。その中のピリピ人への手紙2章24節に「私自身も近いうちに(ピリピに)行けることと、主にあって確信しています」と書いていることから、パウロはローマで一旦は釈放されたと考えられます。

 囚われの身にあった(軟禁状態)とは思わないぐらい、パウロは自由に大胆に福音を宣べ伝えたとするならば、何不自由ない自分は、自由に大胆に宣べ伝えているのかということについて、心探られます。

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ついにローマに

2016年08月26日 | 使徒の働き

使徒の働き 28章1−16節

 久しぶりに真夏の暑さが戻ってきました。日曜日までは最高気温34度が続くようです。私たちの住まいは最上階で、天窓からじりじりと陽が差しますので、室温が上がらないようにいろいろな工夫をします。日光をさえぎり、戸を閉めて外の暑さが入らないようにするのもその一つです。でも、この暑さは日曜日まで。暑さ終いだそうです。近くのホームセンターであまり売れていなかったような扇風機も、飛ぶように売れたことでしょう。

 「使徒の働き」もあと二日で読み終えます。いつも思うのですが、今回の通読でまた多くのことを発見し、みことばを思い巡らすことができました。何度も読んでいるのですが、まるで新しく見つけたような感動が続きました。聖書は不思議な書物です。

 手厚くもてなされたマルタ島を出発し、シシリー島のシラクサ(シラクーザ)、イタリア半島最南端近くのレギオン(レッジョディカラブリア)、さらに北のナポリの近くにあるポテオリ(ポッツオリ)と、パウロたちはローマへの距離を縮めていきます。地図で確認することをお勧めします。そして、ついにローマに! 

 「みことばの光」には、「鎖につながれていた初老の囚人が、やがて帝国全体を主イエス・キリストのもとにひざまずかせる永遠の御国の使節だと誰が思ったことだろう」とあります。これまでも繰り返してきたことですが、自分ではどうすることもできない囚人の身でありながら、エルサレムからローマまで着くことができました。主イエスが、「ローマでもあかしをしなければならない」「必ずカイザルの前に立ちます」と約束なさったことを実現してくださったのです。

 神は自分にもみことばによって語ってくださるのかという疑問が湧くでしょうか。語ってくださると私は信じています。

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2011-2018© Hiroshi Yabuki