ハバクク書 3章
3章はハバククの祈りとあります。神からの確かな約束と、必ず起こるというさばきのメッセージを聞いたからは、お語りになった神に祈るのです。そしてその祈りは神への賛美へと高揚していくことが本章を読み進めていく中で伝わってきます。
神のことばをいただき、それに応答して祈り神をたたえる、さらに神のことばをいただき、応答して祈るという繰り返しの営みの大切さを覚えます。ハバククは、神がご自分の民を激しく怒っておられさばきを下そうとしているのを受け止めます。それとともに、「あわれみを忘れないでください」とも願っています。
祭司は民のために神にとりなす者、預言者は神のことばを民に告げる者だと言われます。しかし、ここでのハバククは民のためにとりなすのです。語れとして神がお与えになったことばを、ハバククはそのまま人に告げます。しかし、そのように告げるハバククは神のさばきにあう人々の間に住む者でもあるのです。それは、やはりユダ末期に預言者として立ったエレミヤの姿に通じるように思えます。
17節と18節の情景のあまりの違いに驚きます。17節は神のさばきによって地も産み出すべきものを絶やしてしまうという荒涼とした景色を描きます。「しかし」とハバククは続けます。神をたたえ、神にあって喜ぶのだというのです。彼は、さばきの先にある確かな希望に目を留めています。
表層に起こることに一喜一憂するのではなく、いつも、神のことばをいただき応答するという営みを忘れてはならないと心に刻みます。