詩篇 34篇
クリスマス礼拝後、子どもたちが朗読劇をしてくださいましたが、そのビデオがほぼ完成しました。毎日映像制作をしているわけではないので、忘れてしまったこともたくさんありましたが、徐々にコツをつかむようになりました。毎日映像を配信している人たちの大変さをほんの少しだけ味わいました。
34篇のはじめには、追い詰められたダビデが頭がおかしくなったかのように振る舞った時という背景が明らかにされています。サムエル記第一21章10−15節に記されています。サウルにいのちを狙われていたダビデは、自国にいたのでは危ないとして、敵であったガテの王のもとに身を寄せます。それは、いのちを永らえるための恥も外聞もない行動でした。
そのような事情を踏まえて本篇を読み進め、8節のことばに目が留まりました。「味わい 見つめよ。主がいつくしみ深い方であることを」とあります。ダビデがイスラエルの勇士としてのプライドを脇に置いて、ぶざまにも敵地に逃れるという経験を通して、彼は主がいつくしみ深い方であることを知ったのです。
私たちは、自分のかたちのようなものが崩れないようにと注意しながら生活しています。そこにも主の恵みは確かにあります。しかし、自分で自分が保つことができずに、あってはならないようなところに追いやられたり自分で追いやったりすることによってしか、味わうことのできない主のいつくしみがあります。
そのようなことを考えますと、1節の「私はあらゆるときに 主をほめたたえる」という最初の賛美の中にある、「あらゆるときに」ということばの意味がより深まるのではないでしょうか。