みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

イスラエルの望み

2021年08月27日 | 使徒の働き

使徒の働き 28章17−31節

 きょうで使徒の働きを読み終えます。いつものことですが、ボリュームのある聖書を読み終える頃には、名残惜しい気持ちになります。「みことばの光」では5年に一度、使徒の働きを読むのですが、今回はどのような発見があったでしょう。

 ここには、ローマ到着後のパウロの生活がどのようなものだったかが書かれています。

 彼がまず行ったのは、ユダヤ人の主だった人々を集めて、自分がなぜローマに来たかの理由を話すことでした。彼がカエサルに上訴したことについて、誤解があるのならばそれをとり除こうとしていたのです。パウロは、自分が鎖に繋がれているのは、「イスラエルの望みのため」だと言います。それは、自分がこのような身なのは、長い間イスラエルが待ち望んできた神の約束ゆえだというのです。

 話を聞いたユダヤ人は、「イスラエルの望み」について、直接パウロから話を聞くのがよいとして、日を改めて改めてパウロの滞在先を訪ねました。そこでの反応は、これまでパウロが「イスラエルの望み」がイエスにおいて実現したとユダヤ人に話をした時と同じものでした。受け入れる者と信じない者とに分かれたのです。

 これは、福音が語られるときの人々の反応を表しています。そして信じない人のほうが多いのです。だからといって、多くの人に受け入れてもらおう、受け入れやすくしようとして、福音を変えることは許されません。「イスラエルの望み」とはナザレ人イエスが十字架で死に、復活して生きておられるメシアだというメッセージです。それはイスラエルの望みであり、すべての人の望みなのです。

 この福音を信じた時から、神による新しい創造が一人の人のうちに起こるのです。パウロの時代も、そして今も…。


勇気づけられた

2021年08月26日 | 使徒の働き

使徒の働き 28章1−16節

 昨日の祈祷会では、「みことばの光」のその日の箇所を読み、参加者で分かち合いをしていますが、困難な航海の中で、パウロと同船者たちが次第に絆が深められていったことを皆で確認できました。とても良い時間を共有できました。

 使徒の働きはついに最終章。前半は、船が座礁した所がマルタ島であったこと、島の人々が暖かくもてなしてくれたこと、マムシに噛まれたパウロが死ななかったので人々がパウロを神様だと言い出したこと、長官プブリウスの父はじめ島の病人たちをパウロが癒やしたことが書かれます。パウロの同船者たちはパウロのゆえに、いや、パウロの神ゆえに、マルタで三か月手厚いもてなしを受けたのです。

 このようなことから、「パウロは特別」という声も聞こえてきそうですが、私は、一人のクリスチャンが存在は大きいのだということを考えました。ルカもアリスタルコもいましたので、「わずかなクリスチャンが…」というのが正しいかもしれません。一人だけで、少人数なので…と、ともすると縮こまりがちになる時、マルタでの出来事は勇気を与えてくれます。

 そして、いよいよローマへの最終路。シラクサはシチリア島の港町。余談ですが、ローマからの夜行列車は、連絡船に客車を乗せてシラクサに着きます。一度乗ってみたいと思う列車です。

 パウロはローマからの人々に迎えられ、彼らと一緒にローマに入ります。ローマへの航海はパウロのすごさが際立つように読めるのですが、15節には「パウロは彼らに会って、神に感謝し、勇気づけられた」とあります。同船者たちを何度となく勇気づけたパウロも、勇気づけられることが必要だったのだと、安心したのです。


もう一人の乗船者

2021年08月25日 | 使徒の働き

使徒の働き 27章27−44節

 この箇所には、パウロのローマ行きを阻もうとする出来事が次々と襲います。漂流する船が陸地に近づいているのを知った水夫は夜陰に紛れて小舟で逃走しようと図りました。この時パウロは、百人隊長や兵士たちに水夫たちとどめておかなければ助からないと説得します。

 さらにパウロは、皆を励まして食事をすることを勧め、自らが祈ってパンを分け与えます。囚人がこの船の指揮官として全員の健康に心を配っているというのは、奇跡です。

 次の妨害は、船の座礁とともに訪れました。囚人が逃げないように殺してしまおうとするのは兵士としてはあるべき態度でしょう。しかし、パウロに絶大な信頼を置いていた百人隊長は兵士たちの企てを止(や)めさせるのです。結果としてパウロのことばどおり、276名全員が、頭から髪の毛一本失われることなく上陸したのです。

 「ローマでも証ししなければならない」、また「あなたは必ずカエサルの前に立ちます」とのことばを主から得ていたパウロは、14日間の荒海を漂流する中でも平安を得ていました。神のことばを得ていることの強さを、ここでのパウロ姿から覚えます。

 この船にはイエスという277人目の乗船者がいたのだと、私は思います。人生の船に嵐の中でも船尾で眠っておられるお方がおられるとは、なんと心強いことか。こんなに確かな人生航海はありません。


私は神を信じています

2021年08月24日 | 使徒の働き

使徒の働き 27章13−26節

 出かけようとすると黒雲が空を覆って激しい雨。15分ほどで止みますが、また、出かけようとすると雨が…という繰り返しの月曜日でした。

 クレタ島の「良い港」に難を避けることができたパウロたち一行は、「今だ!」とばかり、フェニクスに向けて出帆したのでしょう。グーグルの地図で確認しますと、「良い港」という地名があります。また、フェニクスとは現在のプラキアスという場所だと思われます。

 ところが船はフェニクスに着くことはなく、島から離れ地中海を漂流することになります。20節からは、船がどんなに絶望的な状況に置かれていたかが分かります。荒波にもまれるまま漂流するのです。

 このような時に立ち上がったのがパウロ。彼は大嵐の中で神の使いが現れ「あなたは必ずカエサルの前に立ちます」とことばを届け、神が同船しているすべての人をパウロに与えているとも告げたと語ります。

 パウロの「元気を出しなさい」は、空元気(からげんき)ではなく、神のことばに基づくものでした。この時、パウロがどのような口調で荒らしにもてあそばれ、絶望している人々に語ったのだろうかと想像します。

 心に留めたのは、「私は神を信じています。私に語られたことは、そのとおりになるのです」というパウロのことば。感染症がなかなか収束しない中、誰もの心にこれから先への不安があることでしょう。私たちも例外ではありません。しかし、その中で「私は神を信じています」と自分に言い聞かせ、折を得て人々に話すことのできるのは、なんと幸いなのだろうと思うと、力が湧いてきます。


却下された助言

2021年08月23日 | 使徒の働き

使徒の働き 27章1−12節

 日曜日の礼拝開始前に雷雨が…。その後も断続的に激しい雨が降ったために、いつもの通り道の脇を流れる川が氾濫。一方通行で帰りの道が塞がれてしまいました。いつもですと、「春の小川は…」と口ずさむほどののどかな清流なのですが。

 長く閉ざされていた門が開き、パウロのローマへの旅が始まりました。使徒の働きの終りの2章は、旅の様子が描かれます。2節に「私たちは」とありますので、ローマ行きにルカが同行していたことが分かります。そして、テサロニケに住むマケドニア人アリスタルコも。

 パウロのローマ行きはもちろん物見遊山(ものみゆさん)ではありません。彼は上訴のためにローマに行くのであり、ローマ兵の護送される身なのです。そしてパウロを送り届ける責任者は百人隊長のユリウスです。彼は旅の間中パウロに親切であり、パウロの声に耳を傾けることもありました。

 最初パウロたちは、アドラミティオの船でルキアのミラまで航海を続けます。アドラミティオというのは地名で、現在のトルコの「エドレミト」で、今でも貿易港として栄えています。この船は外洋船ではなく沿岸を立ち寄りながら航海するのです。そしてミラで、彼らは大きな船に乗り換えたのでしょう。

 しかし、この後が大変。船は向かい風に悩まされます。ここでパウロはこれから先の航海について警告をするのです。しかし、百人隊長はここでは聞く耳を持たずに、船長や船主を信用します。どちらの声を聞くかと言えば、この後の結末を読むならパウロの助言に従うべきだったということは分かるのですが、百人隊長の判断を責めることはできないでしょう。

 飛躍があるかもしれませんが、漁師だった弟子たちにとっては経験豊かな湖で、イエスが彼らの常識を覆すようなことをなさった出来事を思い起こしています。


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