使徒の働き 28章17−31節
きょうで使徒の働きを読み終えます。いつものことですが、ボリュームのある聖書を読み終える頃には、名残惜しい気持ちになります。「みことばの光」では5年に一度、使徒の働きを読むのですが、今回はどのような発見があったでしょう。
ここには、ローマ到着後のパウロの生活がどのようなものだったかが書かれています。
彼がまず行ったのは、ユダヤ人の主だった人々を集めて、自分がなぜローマに来たかの理由を話すことでした。彼がカエサルに上訴したことについて、誤解があるのならばそれをとり除こうとしていたのです。パウロは、自分が鎖に繋がれているのは、「イスラエルの望みのため」だと言います。それは、自分がこのような身なのは、長い間イスラエルが待ち望んできた神の約束ゆえだというのです。
話を聞いたユダヤ人は、「イスラエルの望み」について、直接パウロから話を聞くのがよいとして、日を改めて改めてパウロの滞在先を訪ねました。そこでの反応は、これまでパウロが「イスラエルの望み」がイエスにおいて実現したとユダヤ人に話をした時と同じものでした。受け入れる者と信じない者とに分かれたのです。
これは、福音が語られるときの人々の反応を表しています。そして信じない人のほうが多いのです。だからといって、多くの人に受け入れてもらおう、受け入れやすくしようとして、福音を変えることは許されません。「イスラエルの望み」とはナザレ人イエスが十字架で死に、復活して生きておられるメシアだというメッセージです。それはイスラエルの望みであり、すべての人の望みなのです。
この福音を信じた時から、神による新しい創造が一人の人のうちに起こるのです。パウロの時代も、そして今も…。