レビ記 26章1−26節
今日は4年に一度のうるう日。2月はずっと新型コロナウィルスの脅威にさらされていた感があります。日本では公立の学校を3月初めから休校とするとの要望が政府から出され、現場が混乱していると報じられています。教会の礼拝は人が集まる場所。対応に追われている方もおられることでしょう。
1月から読み続けてきたレビ記も、あとわずかになりました。「みことばの光」の執筆者が1月号の「レビ記を読む前に」の冒頭に「レビ記、それは聖書通読挫折箇所ナンバーワンだからだろうか。2020年は半月ばかりの恵みの助走を経て、満を持してレビ記に挑む」と書いておられました。特に、「満を持して」ということばに「さあ読もう!」という強い呼びかけを感じました。いかがでしたか。
今日の箇所には、2つの「もし…なら」ということばが見られ、そのことばに導かれて神の祝福とさばきの内容が書き連ねられています。「もし…なら」には、イスラエルの民が神の掟・命令・契約を守るなら、守らないなら、という条件節が入り、その結果が記されます。守るのならば、産業(農業)、治安、外交そして家庭に神の祝福が注がれ、守らなければ、健康が損なわれ、不作となり、敵に攻め込まれ、家庭に争いが…というようなことが起こります。
神は厳しすぎる、恐ろしいと背を向けることもできるでしょう。しかし、私たちが当たり前だと思っていることや自分の力でやっていると思っていることの根幹は、じつは自分たちではどうにもならないのではないでしょうか。大切なものは神が与え備えておられるのです。ですから「もし…なら」を聞き逃すことのできません。
神を恐れることと拠り頼むことが必須であることを、ここから教えられます。