ローマ人への手紙 16章17−27節
当地でもアジア食材を売る店が増えてきました。日本ではスーパーで安く買えるモヤシも、最近は一般のスーパーでも買うことができます。けれども安くはありません。しかし、アジア食材店に行くと半値以下で買えるのです。たかがモヤシ、されどモヤシです。
ローマ人への手紙もいよいよ最終回。とても名残惜しい気がします。ここにはまず、教会が分裂とつまずきに巻き込まれないようにと注意を促しています。コリント人への手紙などとは違い、この手紙は教会の具体的な課題や問題に、パウロが処方せんを出すというものではありません。しかし、14章を読むと一人ひとりの生活の仕方、たとえば何を食べるか、どの日を大切にするかなどということでの考え方の違いが教会内にあったことが分かります。
そのような違いが、悪い動機を持った偽教師に用いられて教会が混乱するということは起こりうることです。18節には、偽教師の特徴が明らかにされています。彼らは誰に仕えているのかということばに目が留まります。私は誰に仕えているのかということを、いつも確認することを怠ってはならないと…。
さらにパウロは、教会をそのような危機から守るためには、一人ひとりが「善にはさとく、悪にはうとくある」ことだと言っています。出来事の表層だけで人や物事を判断しないで、みことばの光に照らしてよく考えるさとさが求められているのだと思います。
そして終わりは、この手紙を書いたときにパウロのそばにいた人々からの「よろしく」のあいさつです。22節にはこの手紙を筆記したテルティオの名が出てきます。さて、テルティオはどんな思いで自分の名を記したのでしょうか。想像が膨らみます。