みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

新しい歌を主に歌え

2011年03月31日 | 詩篇
詩篇96篇

 主なる神の平安がありますように。

 日本ではきょうが事業年度の終わりの日です。その日に、「新しい歌を主に歌え」との呼びかけをともに聴くことができるのには、意味があることだと思います。
 昨日読んだ95篇も、そして96篇も声を出して読むと、讃美歌のメロディーが浮かんできます。それほど親しまれている詩篇なのですね。
 
 さて、きょうの箇所には「みことばの光」の区分にあるように、2つのことが呼びかけられているのに気づきます。その1つは「新しい賛美を全地に訴えている」ことです。新しい賛美というのは文字通り新しいことばやメロディーによって主を賛美するということもあるでしょうが、日ごとに新しい思いで主を賛美することなのだ、と教えられます。
 「全地よ」という呼びかけは、詩人がその喜びを自分のうちにおさめておくことができないほどのものだったのかも知れません。

 昨日の文章でも触れましたが、このようなときだからこそ、小さなことに喜びを見出して、神様に感謝し、賛美をささげる一日でありたいと思います。
 
 桜のつぼみが少しふくらんだかな? というこの頃です。
 

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さあ、主に向かって

2011年03月30日 | 詩篇
詩篇95篇

 主の平安がありますように。

 いつもなら朝にブログを更新するのですが、きょうは宮城県大崎市と福島県福島市を訪ねるために早朝に出かけましたので、遅くなりました。すみません!
東北道は、福島県に入るとあちこちで応急修理の跡があり、慎重に運転する必要がありましたが、思ったよりも早く到着しました。
 宮城県内陸部の被害は大きく、中心市街地の建物の多くが壊れていました。

 お届けしたものの中に牛乳もあったのですが、牛乳を受け取った方が「鳥肌が立つ(ぐらいうれしい)」とおっしゃったのが印象的でした。
 福島に住むいとこは、断水が続いている中で井戸水やお風呂を近所の方々に提供しました。「あそこで水がもらえる」という話が口コミで広がって、たくさんの方がお風呂を利用したのだそうです。
 知り合いの肉屋さんは、震災のあと数日後にはいつものようにコロッケやメンチを作って、近所の方の支えになったといいます。
 
 きょうから数日、「みことばの光」では詩篇を味わいます。
 95篇は「さあ、主に向かって喜び歌おう」との呼びかけで始まります。バビロンからの解放の喜びが主への賛美、礼拝、感謝に表れているのです。
 「ああ、良かった。うれいしい」というだけでなくて、「神さまありがとう」と表し、礼拝をささげる。
 このような時だからこそ、小さなことに喜びをみつけたい。

 私にとってそんな一日でした。




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わたしが建て直す

2011年03月29日 | アモス書
アモス書9章

 神にある平安がありますように。

 アモス書もきょうが終章。私は日本が直面している試練と重ね合わせながら読みました。
 「みことばの光」には、「アモス書を読んで、神のさばきのメッセージに心が重くなるときもあったかも知れない。だからこそ、御子イエス・キリストの十字架での贖いによって罪が赦されるという約束が、何とありがたいことかと、改めて感謝が湧いてきたのではないだろうか」とあります。

 確かに、「厳しい」メッセージでした。しかし、この書の終わりには回復の約束が神から届けられています。そして、回復は「わたしは…建て直す」(11)というように、神によってもたらされるのというのです。

 考えてみると、自分自身もイエス・キリストの十字架の贖いによって、建て直してもらったのです。そう考えると、この預言はまず、福音を信じたすべての人のうちに実現しているといえます。
 イエス・キリストにある真の回復がこの国にもたらされるように祈ります。

 「父なる神さま。罪深い私たちに懲らしめのことばと共に、キリストにある希望の約束を与えてくださって感謝いたします。」(「みことばの光」祈りのことば)


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みことばのききん

2011年03月28日 | アモス書
アモス書8章

主の平安がありますように。

 日曜日はどのようにお過ごしになりましたか。
 私たちの教会では、礼拝の後「てくてく125」(「てくてくワンツーファイブ」と呼ぶらしいのです)をしました。教会開設30周年を記念して、今年から3年かけて全市に教会の案内を配布することにしましたが、昨日がその最初の配布日でした。教会案内も、とってもセンスがよくステキなものですよ。

 折しも、福島第一聖書バプテスト教会に通っておられるご夫婦が県外避難で行田に来ておられ、私はご主人といっしょに一件ずつの配布に出かけました。空は広く、菜の花の黄色が鮮やか。川沿いの桜並木のつぼみはまだまだ堅い。
 半月前に大災害がこの国にあって、原発事故の収束が道まだ遠しとは思えないようなのどかな春の午後でした。いっしょに配布してくださったKさんはお菓子屋さんを原発の近くで営んでいます。いつか頂戴した「一粒の麦」という焼き菓子はとてもおいしかったです。
 お仕事と住いを探しています。お祈りください。

 さて、昨日きょうとアモス書7、8章を読みました。
7章からは、預言者アモスのこころを垣間見ることができます。「神、主よ。お赦しください。ヤコブはどうして生き残れましょう。彼は小さいのです」とのとりなしに、今の自分を重ねて祈りました。
そして8章は、「見よ。その日が来る」とのことば。それは「みことばのききん」。
 何が起こっても、みことばをいただける恵みを日々感謝するこの頃です。

 震災発生以来、ずっと震災関連情報を、しかもこころを込めて被災者を励まし続けてきた郷里の放送局「ラジオ福島」の放送を、インターネットのユーストリームで聞くことができます。
 福島出身の方がおられたら、教えて差し上げてください。

 http://www.ustream.tv/channel/rfc-radio




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もろい安心

2011年03月26日 | アモス書
アモス書6章

 主の平安がありますように。

 最初の予定では、きょうは「キリスト教会少年野球春の大会」のはずでした。私も教会の少年野球チームの監督として最後の(一年だけでしたけれども…)さい配を振るうことになっていたのですが、中止になりました。
 ザンネン!
 大会毎に、参加記念バッチを作って渡すのですが、今回のは「幻のバッチ」。そこで、このブログ初画像! バッチの写真をお載せします。
Photo_3

 そのかわり、きょうのお昼はチームのみんなと食事会をすることに…。この春で卒業する3人の6年生を送別する会を兼ねています。

 アモス書6章、「みことばの光」のタイトルは「もろい安心、頼りにならない信頼」です。
 国の危機が迫っているにもかかわらず、ぜいたく三昧に明け暮れるイスラエルの指導者たち。しかし、「預言者アモスは、彼らの安心と信頼がもろく頼りにならないことを指摘している」(「みことばの光」より)のです。
 私たちが何を誇るかについても、改めて考える箇所でもあります。

 被災者の方々への息の長い支援、原発事故の収束のために祈り続けていくことの必要を覚えています。

「わたしは、あなたがたに平安を残します。 
 わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。
 わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。
 あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。」
                        ヨハネの福音書14章27節





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2011-2019© Hiroshi Yabuki