みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

主の書物を調べて読め

2019年10月16日 | イザヤ書

イザヤ書 34章

 きのうのドイツ語の時間、「秋」に関係のあることばを考えてみましょう、というようなことから始まったのですが、脇道にそれていきます。こうやってことばのスペルをまちがえないように伝えるのだと納得。とてもよい「脇道通行」だったと思います。

 「みことばの光」10月号12頁の「イザヤ書24−35章を読む前に」では、24―35章を「諸国の民全体に対するさばきと主の勝利が告げられる」とあります。そして、34、35章は結論に当たる部分です。そして、34章には全世界の主に敵対する者たちへの最終的なさばきが語られています。ですから、ここに記されているのは恐ろしい光景。

 エドムの名前が出てくるのは、神が選ばれたイスラエルにエドムは事あるごとに敵対していたので、神に敵対する者たちの代表のようになっているのでしょう。このような厳しいことばを次々と読ませられると、神は愛なるお方ではないかという問いかけというか、非難のような思いが湧いてきます。しかし、次の35章とともに味わうことが大切なのだと教えられます。

 16節の「主の書物を調べて読め」ということばを覚えました。このような厳しいさばきがほんとうに起こるのだろうか、いや、脅しだろうなどと言う者がいたということを想像させます。それに対して、主ご自身がそうではない! これらのことばのどの一つも失われていない、必ず起こるのだと断言しておられるのです。

 日々読んでいることばとは、これなのです。

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どこに住むのか

2019年10月15日 | イザヤ書

イザヤ書 33章

 

 台風19号の被害の全容が徐々に明らかにされています。被害に遭われた方や復旧のために尽力しておられる方を神が慰め支えてくださるよう祈ります。

 昨日10月14日は日本では「鉄道の日」でした。今回の台風で多くの鉄道も被害に遭ったとも報じられています。地方の鉄道の被害も大きいようです。私たちは昨日、州内の鉄道小旅行をしてきました。2両編成のディーゼルカーが結構なスピードで走ります。一時間に一本運行の路線ですが、かなりの数の乗客がいたのですが、日本と同じように学生が多かったという印象です。

 28章から33章には、イザヤが活動していた時代背景の中で、ユダ、アッシリア、そしてエジプトが舞台に登場しています。アッシリアの迫り来る脅威に瀕して、ユダは神に頼らずにエジプトに頼ることをするのですが、神はそのようなユダを厳しくさばかれるとともに、やがてメシアが来て新しい世界が訪れるとの預言も明らかにしておられます。

 1節には「踏みにじる」「裏切る」ということばが繰り返されます。踏みにじるアッシリア、裏切るエジプト、そしてアッシリアも、いや、ユダも弱い人を踏みにじり、神を裏切るというもっとも大きな裏切りをしてしまうのです。

 突然のように、2節には祈りのことばが記されています。登場する「主役たち」のあまりのひどさに、預言者イザヤが必死になって神にあわれみを請うているかのように響いてきます。これら三つの主役たちに欠けているのは、このことです。その中でもユダはなおさら、神に信頼しないで、人に、肉に頼るという罪を犯したのですから、罪を悔い改めて、「私たちをあわれんでください」との祈るべきでした。

 この章に三度出てくる「住む」ということばに目が留まりました。主が高い所に住むという5節のことば、義を行い公正を語る者が高い所に住むという15―16節のことば。やがて来るシオン、エルサレムが安らかな住まいになるという20節の約束のことばです。

 自分が今、どこに住んでいるのかと振り返ります。地理的な問いかけではなくて…。

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二つの景色

2019年10月14日 | イザヤ書

イザヤ書 32章

 台風19号による豪雨で、多くの川で堤防の決壊や氾濫による冠水の被害が報じられています。埼玉県川越市にある川越キングス・ガーデンもその一つ。月に一度聖書の話をしに伺っていたところです。働いておられる方々、入居しておられる高齢の方々をおぼえて、神にお祈りください。

 本章からは二つの景色が見えてきます。

 一つは、一人の王が義によって治めている世界の景色です。そこでは首長たちが人々を正しく治め、苦しんでいる時の避け所のような存在になります。さらに、聞く、見る、話すという人間の営みが、本来のものとして為されています。本来のものというのは、神のことばを聞き、神のみわざとして出来事を見、神を証しするということなのでしょう。

 ここには、ならず者がはびこる世界の景色です。そこでは愚か者が愚かなことを語り、不法を企み、不敬虔なふるまいをしています。9節から14節にある「安逸をむさぼる女たち」に始まる景色は、ならず者が支配するエルサレムのようです。ここで神は、彼女たちに「わたしの声を聞け」と呼びかけます。それは、この町に危機が訪れるということばです。聞かなければならない時なのに、耳を塞いで聞こうとしない彼女たちには、間もなく荒廃が訪れます。

 後半では、また麗しい景色を見せてくれます。豊かな実りをもたらし、人々が安心して生活しているという景色です。

 「一人の王」とはイザヤの預言から700年後においでになったイエス・キリストのこと。イエスさまが、私の人生の景色をどのようなものに変えてくださったのだろうと考えると、心に感謝が湧いてきます。

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反逆の民への恵み

2019年10月12日 | イザヤ書

イザヤ書 30章

 週末、東日本は猛烈な台風による被害が心配されています。秋の休みで一時帰国しておられる方から、飛行機のキャンセルで土曜日にではなく月曜日に戻ってくるとのメールをいただきました。

 30−31章では、アッシリアの脅威に際し、神に頼ることなくエジプトに助けを求めるユダ、エルサレムの指導者たちに対して、神は預言者イザヤによって呼びかけておられます。

 神は彼らのことを何と呼んでおられるのでしょうか。「頑なな子ら」「反逆の民」「嘘つきの子ら」「主の教えを聞こうとしない子ら」とあります。これらのことばから、彼らの罪とは何かが浮かんできます。主がお選びになった彼らは、それにもかかわらず心を頑なにし、神に逆らい、みことばに耳を塞ぎ、神にではなくエジプトに頼ろうとしています。そして、ネゲブを通ってエジプトに贈物を携えていくのです、「私たちを助けてほしい」と。

 けれども、神はエジプトは頼りにならないと断言されます。「役に立たない民」「助けにならない」「エジプトの助けは空しく、当てにならない」、そして「何もしないラハブ」とまで言われます。ラハブには「高慢」という意味があり、大きな蛇、わにを表わすことばとしても、それゆえエジプトを指して用いられます。ユダにとってエジプトは必ず自分たちを助けてくれる怪獣のような頼りになる存在だったのでしょう。けれども主は、ラハブは何もしないと言っておられます。

 こんなに頑なであったら、「もう知らない、勝手にしろ!」と見捨ててしまうところです。ところが主は、ユダ・エルサレムをそのようにはなさらずに、招いておられるのです。これがこの章の、いや、聖書全体を通して届けられている神の不思議、神の恵みです。

 18節の「それゆえ主は、あなたがたに恵みを与えようとして待ち、それゆえ、あわれみを与えようと立ち上がられる。主が義の神であるからだ」とのことばに目が留まります。義なる神なら、心を頑なにする者たちをさばき滅ぼしてしまわれるはず。しかし、彼らを恵みあわれまれるというのです。このことばの向こう側にイエス・キリストのお姿が透けて見えてくるようです。

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闇から物を見る

2019年10月11日 | イザヤ書

イザヤ書 29章

 抜歯するつもりで歯科に行きましたが、再度検査して抜歯は延期されました。覚悟していきましたので何となく肩透かしを食った感じもしましたが、同時に安堵しました。

 28章から35章には、「わざわいだ」と「ああ」と訳された同じことばが6回出てきます。1節は2回目の「ああ」です。ここではアリエル(エルサレム)に危機が訪れることを表わすことばです。歴史的な事件としては、アッシリアがエルサレムを攻め取るために包囲するということに結びついています。

 目に留まるのは、2節の「わたしはアリエルを虐げる」、3節の「わたしは、あなたの周りに陣を敷き」というように、エルサレムを危機に陥れるのが「わたし」、つまり神だと語っていることです。ここでアッシリアは、ユダやエルサレムを懲らしめるために神によって用いられているのです。

 ところが、エルサレムに「万軍の主が訪れる」のです。アッシリアの大軍が一夜のうちに消し去られるという出来事は、この後の37章に出てきます。しかし、「喉元すぎれば…」というように、神のあわれみはエルサレムの指導者に届かないのです。彼らは神のことばに耳を閉ざし、見るべきものに目をつぶるのです。その結果、礼拝は形式だけのものとなり人間のことばのみが響いて神のことばが隅に追いやられます。

 17節以降には、やがて訪れる回復の預言が語られます。その中の「その日、耳の聞こえない人が、書物のことばを聞き、目の見えない人の目が、暗黒と闇から物を見る」ということばに心を留めました。

  そのような不思議が訪れる、いや、すでに訪れているのです。

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2011-2019© Hiroshi Yabuki