詩篇 41篇
当地の大晦日12月31日は、大半のお店がお昼過ぎで閉店。年が変わる頃には至る所で花火の音が炸裂します。こちらに来て間もない新年に、ある町を自動車で通りましたら、花火の残骸が山のようになっていました。ちょっと苦手な年越しです。
「みことばの光」今年最後の聖書は詩篇41篇。読み返しながら、この一年大きな病に冒されることなく終えようとしていることを神に感謝しました。それとともに、病を得た方々を思い浮かべて祈りました。
本日の「みことばの光」が書くように、詩篇第一巻は「幸いなことよ」で始まり、「幸いなことよ」で終わります。本篇ではどのような人が幸いだと歌われているのでしょう。「弱っている者に心を配る人」です。健康であり続けたいとはだれもが願うこと。けれども私たちにはそうでない時が訪れます。そんなとき、自分が健康であったら、どのようにして病む人、特になかなか快方に向かわない人と向き合うのだろうかと悩むことがあります。
「心を配る」とはどのようなことでしょう。新共同訳聖書はここを「思いやりのある人」と訳しています。どちらも、自分にあるものを弱っている人に配る、届けるというような意味を持っています。
近年度重なる自然災害の発生の中で、ボランティアによる援助の働きが大きな力を持つようになっています。援助の心とは相手に寄り添うことだとよく言われます。大きな震災の折に救援物資を募り集めて届ける折りに、何を届け何を送るのだろうかと自問したことを思い出します。神のあわれみを賜わった者の一人として、弱い人々にどのように接するのかはいつも問われることです。
ダビデは病の中で、「私をあわれみ 立ち上がらせてください」と神に祈ります。なぜ彼は病からの癒しを祈り求めるのでしょう。「いつまでも あなたの御前に立たせてください」ということばが心に迫ります。
この1年、ご愛読いただきありがとうございます。神の祝福が皆様にありますように。