みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

私が償います

2019年12月10日 | ピレモンへの手紙

ピレモンへの手紙 17−25節

 アドヴェントの時期ですが、「みことばの光」は3月号の編集をしています。4か月先にどのようなことが起こっているのか、自分自身がどのようになっているのかもわからないのですが、先のことに取り組んでいるというのがよく考えると不思議な気持ちになります。

 ピレモンへの手紙の後半を読みます。ここを読むと、パウロとピレモントがどんなに親しい関係だったかを想像させてくれます。

 パウロはピレモンに、「私を迎えるようにオネシモを迎えてください」と願っています。そう願うときに、「あなたが私の仲間のものだと思うなら」ということばを加えていますが、このように言われたらピレモンは「いやです!」とは言えないだろうと考えました。しかし、そのようなパウロのことばは、ピレモンを今で言うなら「上から目線」で見下して頼んでいるのではありません。

 「私パウロが自分の手で『私が償います』と書いています」ということばが心に留まります。主人の元を逃げ出した奴隷オネシモが主人ピレモンに大きな損害を与えてしまったかもしれない。それをパウロは、「私が償います」と直筆で書いているのです。「ピレモンよ、私はあなたの誰なのかがわかっているなら、帳消しにしてほしい、いや、帳消しにできるよね」などとは言いません。「私が償います」ということばをパウロが書き込んだとき、彼の脳裏には、自分のためにいのちをもって償ってくださった主イエスのお姿が浮かんだのではないだろうか、と想像しています。

 この手紙のあと、オネシモはコロサイ人への手紙をパウロから磔されたテキコと一緒に、コロサイに向かいました。コロサイ人への手紙4章9節では、パウロはオネシモのことを「あなたがたの仲間の一人で、忠実な、愛する兄弟オネシモ」と紹介しています。ここから、ピレモンはコロサイに住んでいたのではないかと想像することができます。コロサイは今のトルコの中西部、ラオデキアの近くにあります。

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愛ゆえの懇願

2019年12月09日 | ピレモンへの手紙

ピレモンへの手紙 1−16節

 雨の待降節第二日曜日、礼拝には4名の新しい方がお見えになりました。お一人は日本から出張でおいでになった方、そしてもうお二人は私たちの近くのお住まいの方。どちらも教会のウェブページを頼りにおいでになったとのことです。「ここにも日本語の教会があるというのは感動です」と出張の方はおっしゃっていました。

 「みことばの光」12月号は、例月とは違いあちこちと聖書を読みますが、きょうと明日はピレモンへの手紙を読みます。使徒パウロが同労者のピレモンに、ピレモンのもとから逃げた奴隷のオネシモを送り返すので、「奴隷以上の者、愛する兄弟」として受け入れてほしいと頼んでいるのがこの手紙の内容です。パウロは信仰ゆえの迫害にあって投獄されていたのですが、そこでオネシモに会ったのです。獄中で、パウロはオネシモを信仰に導きました。それゆえパウロは、オネシモのことを「獄中で生んだわが子」と呼んでいます。

 さらにパウロは、オネシモのことを「以前はあなたにとって役に立たない者でしたが、今は、あなたにとっても私にとっても役に立つ者となっています」とも言っています。そして、オネシモは「私の心そのもの」だとも推薦しています。

 一度大きな問題を起こした人がカムバックするのは、有名な人であってもそうでなくても簡単なことではありません。パウロはオネシモのカムバックを助けたいと思っているのです。心に留めたのは8、9節のパウロのことば。彼はピレモンには、「オネシモを送り返すので受け入れよ、以上!」と命じてもよい間柄だけれども、そうはしないと言っているパウロの姿勢。彼は愛のゆえに懇願しているのです。奴隷としてではなく主にある兄弟として受け入れてほしいので、そのようにしたのでしょうか。

 かつての迫害者だったパウロもまた、アナニアという人物のゆえに主の教会の交わりに入ることができました。あの時に、自分にしてもらったことを終生忘れることのなかったパウロは、今はオネシモにとっての「アナニア」としての務めを買って出るのです。愛のわざは連鎖していきます。

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私が支払います

2014年12月11日 | ピレモンへの手紙

ピレモンへの手紙 17−25節

 

 ピレモンへの手紙は、いよいよ用件に入ります。

 パウロはピレモンにオネシモを迎えてやってほしいと頼んでいます。損害を与えたのならば、私が支払うので請求は私にしてほしいとも言っています。「この手紙は私パウロの自筆です」とのことばから、保証人の、しかも連帯保証人の責任を思い起こさせます。

 それとともに、ピレモンを主に導いたパウロならではの「プレッシャー」をもかけています。「あなたが今のようになれたのもまた、私によるのですが」などと言われたら、断りにくいでしょう。おもしろいのは、「そのことについては何も言いません」と書きながら、しっかりと言っているところだと思います。

 さらに、「私の言う以上のことをしてくださるあなたである」などと言われたら、後には引けませんね。「私の宿の用意もしておいてください」とまでパウロはピレモンに書いています。

 これは、パウロが図々しいということではなくて、パウロとピレモンとの間にはこのようにいえる強い絆があったということです。

 ともすると、どこまで踏み込めるのだろうか、これ以上は…などと様子を窺うような者にとって、二人の結びつきはうらやましくさえもあります。そしてこれは、主が私のすべての負債を肩代わりしてくださったとの共通の理解、信仰から出てくるあるべき兄弟姉妹の結びつきなのだということを示していると思います。

 

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役に立たない者が…

2014年12月10日 | ピレモンへの手紙

ピレモンへの手紙 1−16節

 「みことばの光」12月の通読計画では、6つの書を読みます。きょうとあすはパウロが書いた手紙の中で最も短く、かつ個人的な内容の「ピレモンへの手紙」です。

 主人の金を持ち逃げした奴隷オネシモが信仰に導かれて役に立つ者となったので、主人ピレモンのところに返そうと、パウロがピレモンに書いたのがこの手紙です。

 手紙はわずか25節と短いものですから、数分で読み終えることができます。けれどもここからは、神がなさる美しいみわざを見つけ出すことができるのです。パウロが獄中で、信仰に導いたオネシモは、なんと、パウロが信仰に導いたピレモンのところから逃げて来た逃亡奴隷だったということは、不思議な巡り合わせです。

 この短い手紙には、たくさんの人たちが登場します。パウロも含めて11人の名を数えることができます。そして、それぞれにかぶせられたことばをまとめてみると、次のようになります。

パウロ:キリスト・イエスの囚人(9節にも)。テモテ:兄弟。ピレモン:私たちの愛する同労者。アピア:姉妹。アルキポ:戦友。オネシモ:獄中で生んだわが子、以前は役に立たない者、今は、あなたにとっても私にとっても役に立つ者、私の心そのもの、奴隷、奴隷以上の者、すなわち愛する兄弟。エパフラス:囚人。マルコアリスタルコデマスルカ:同労者。

 役に立たない者だったが役に立つ者となったというオネシモは、福音が人にもたらす大きな力を証ししています。

 
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