ピレモンヘの手紙 1−16節
金曜日から日曜日まで教会のリトリート。州北部にあるキリスト教の宿泊施設に来ています。紅葉が盛りで、青空さえ出ていたら言うことののないほどの美しさでしょう。
ピレモンヘの手紙は、パウロがローマの獄中から書いたものの一つです。「みことばの光」の「ピレモンヘの手紙について」には、この手紙の内容を、パウロがピレモンに、逃亡したピレモンの奴隷オネシモを迎え入れてほしいと願ったものとありました。
パウロはオネシモと獄中で出会うのです。パウロが投獄されたのは福音のためでしたが、オネシモの投獄はそれとは違います。主人のところから逃亡し、しかも主人のものを盗んだことゆえでした。
しかし、全く異なる理由で投獄された二人は不思議な出会いを経験するのです。まずピレモンはパウロの「愛する同労者」でした。福音のため、イエスのためにともに働いていたのです。ただ「知っている」とだけの関係ではありません。獄中で会ったオネシモがピレモンの奴隷でした。そして、オネシモはパウロによって福音を信じるのです。
短い手紙の前半部分ですが、ここにはたくさんの発見があります。
この部分で、パウロは自分を「キリスト・イエスの囚人」と2度呼んでいます。それはその時のパウロの置かれていた事情を表しています。彼は自分が福音のために囚人となったと自覚していました。ですから「キリストの囚人」だと呼んでいます。そしてそれは、「囚人オネシモ」と自分を同じに見ているのです。
パウロはオネシモを受け入れよとピレモンに命じることができたのだが、そうではなくて「愛のゆえに懇願します」と書いています。オネシモが主人に対して犯した罪を自分のことのように受け止め、ピレモンの愛、あわれみにすがろうとしています。ここに、私たちがキリストによって神に受け入れられることとのつながりを読むことができると思います。
そして、オネシモを「獄中で生んだわが子」と呼びます。パウロがわが子と呼ぶオネシモを、ピレモンは受け入れないはずはないだろうとここから思います。命令はしていないけれども、このことばはピレモンヘのよい意味での刺激、圧力のようなものになったのではないかと、想像します。
一人の人のために、不自由な身のパウロがこれほどまでに心と力を尽くしている姿にキリストにある愛を覚えます。