みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

神の人よ

2022年01月13日 | テモテへの手紙第一

テモテへの手紙第一 6章11−21節

 室内を歩きながら祈っていて、ふと窓越しに外を見ると美しい朝焼け。前も書きましたが、その色合いは数分で変化します。

 この手紙はパウロがテモテに宛てたもの。彼はテモテを「信仰による、真のわが子」と呼びます。この手紙は、1章18節からテモテへの命令、勧めが続くのですが、その際の呼びかけは「私の子テモテよ」でした。しかし、手紙を終えようとしているここでは、「神の人よ」と呼びかけます。

 聖書で「神の人」と呼ばれているのでよく知られているのは、モーセ、サムエル、預言者エリヤ、エリシャです。ダビデがそのように呼ばれている箇所もあります。そして、新約聖書では、個人が「神の人」と呼ばれるのはテモテだけです。大変栄誉ある呼びかけのことばだと思います。

 この呼びかけは、パウロから、いや主イエスからテモテへの挑戦にも響きます。金銭目当ての教師たちが教会を荒らす中で、パウロはテモテに「あなたはそうではない、神の人よ」と語りかけることで、テモテが目指すべき道を指し示しているのです。

 それはこの手紙ですでに取り上げてきた「敬虔の鍛練」です。それを続けるには明確な高い目標がなければなりません。追い求めるべきもの、先に待ち構えているものが何かを知らせて、挑戦に応えるようにと勧めています。

 この挑戦を受けて立つのは簡単なことではありません。そのためには避けること、あきらめなければならないこともあります。しかし、最後のことばがテモテを支えたのではないでしょうか。「恵みがあなたがたとともにありますように。」


内側から変わる

2022年01月12日 | テモテへの手紙第一

テモテへの手紙第一 6章1−10節

 割れていたアパート入り口のガラス戸が修理されました。ガラスを固定するゴムがまだ固まらないので、しばらくはそーっと開け閉めをしなければならないそうです。

 6章1−2節にはクリスチャンになった奴隷への勧めがあります。パウロはこの手紙だけでなく、エペソ人への手紙にも、コロサイ人への手紙にも、そしてテトスへの手紙にも奴隷への勧め、命令を記しています。それは、当時の教会には多くのクリスチャン奴隷がいたということですし、彼らが教会内の課題の一つだったということが考えられます。

 1節では、「自分の主人をあらゆる面で尊敬に値する人と思わなければならない」と命じられています。ここでは、クリスチャンでない主人に仕える奴隷へのことばです。クリスチャンになって、自分の主人を心で見下すような奴隷がいたのかもしれません。自分は今は奴隷だけれども天国に行ける、しかし神を信じない主人は地獄だ…などと。ここで言われていることは、クリスチャンでない家族、同僚、上司などを持つクリスチャンへの警鐘とも取れます。

 2節では、主人を軽んじることがないようにと命じられています。ここでは、クリスチャンの主人に仕える奴隷へのことばです。信仰を同じくしているのだからといって、奴隷の自分には愛をもって接するべきだなどと考えて、怠けたり、言うことを聞かなかったりするというようなことがあったのかもしれません。パウロは、ますますよく仕えよと勧めます。

 ここでパウロは、クリスチャンは罪から解放されたのだから、奴隷解放を訴えよとは勧めていません。奴隷としての立場であることをわきまえて、そこで敬虔を養うようにと勧めるのです。消極的に見られるような勧めですが、大切なことに気づかされます。内側から変わる、変える、自分から変わるということです。

 「あの人はクリスチャンではないから…」と言って心の中で誰かを見下すようなことをしてはいないだろうかと探られることばです。


隠れたままでいることはない

2022年01月11日 | テモテへの手紙第一

テモテへの手紙第一 5章17−25節

 冬至から半月ほどが過ぎますと、日が沈むのが遅くなったことに気づきます。月曜日には素晴らしい夕焼けが…。しかし10分後には無くなってしまいました。「瞬間の美しさ」でした。

 ここでパウロは、エペソ教会の指導者テモテに、いくつかの命令を与えています。長老の処遇、長老が訴えられたとき、罪を犯している者を正しく責めることなどです。その命令はパウロからのものではありますが、21節に神とキリストと選ばれた御使いたちの前で厳かに命じますとあります。ここを読んで、とても「重い」課題をテモテは与えられていると考えました。

 この手紙は、エペソ教会で指導者として苦闘しているテモテに宛てられたものですが、「ゆっくり休め」とか「無理しないで」などというようなものとは違っています。なすべきこととそうでないことを明確に伝え、重い課題も与えます。さらに、何をせよ何をするなという実際的な務めばかりでなく、指導者テモテがどのようであるべきなのかということについても、書いています。いや、むしろ、後者に重きが置かれているようにも読めます。

 そのような中での23節の一言によって、テモテはパウロの自分への心、思いを知ることができたのではないでしょうか。

 25節の「隠れたままでいることはありません」ということばに目を留まります。大切なのはこのこと、神がやがてすべてを明らかにされる日が来る、このことを忘れてはならないのです。今日の「みことばの光」の終わりに、「あなたの日頃の言動は、愛から出たものだろうか」という問いかけがありました。あれをしたこれをしたという目に見える成果が大切なのではなく、何かをするときに誰かとともに歩むときに、自分はどのような動機でしてきたのだろうかと探られます、すべてを知るお方の前に…。


大切にする

2022年01月10日 | テモテへの手紙第一

テモテへの手紙第一 5章1−16節

 翌日にはすっかり溶けてしまいましたが、土曜日の朝も一面の雪で明けました。すぐに近くの公園に行き、雪景色を写真に収めました。下手な写真ですが、それでも美しさが伝わってきます。

 パウロはこの章で教会のさまざまな人々への接し方について、詳しく書いています。初めの2節には、老若男女(ろうにゅくなんにょ)にどのような態度で臨むかについての助言です。年齢を重ねた男女には、「父親のように母親のように」と勧めます。若い人には「兄弟のように姉妹のように」と促しています。それはつまり、自分の家族だと思うように、ということなのです。

 改めて、家族のつながり、結びつきとはどのようなものかと考えてみました。ほかの人間関係とはどう違うのでしょう。家族にもいろいろな課題や問題がありますので、すべてがそうだとは言えませんが、最後には受け入れる、赦し合うということではないだろうかと考えるのです。復元力があるのが家族なのだと信じます。

 夫に先立たれた女性(やもめ)への援助について多くの分量を割いているのは、これがエペソ教会の大きな課題になっていたことだと想像できます。「名簿に載せる」と9節にあるのですから、相当な数に上っていたのかもしれません。3節と16節にある「本当のやもめ」ということばに目が留まります。

 当時の教会にとって、経済的に困窮していた人々への支援は大切な働きだったのでしょう。福音が生活の隅々にまで届くということなのだと思います。今は社会福祉がそれに替わっています。それでは、教会がそれらを行う必要はないのかというと、そうではないということを改めて考えさせる箇所です。


ふさわしいリーダー

2022年01月08日 | テモテへの手紙第一

テモテへの手紙第一 3章

 金曜日は朝に雪が降りました。「雪やこんこ」という歌の2節に、「犬は喜び庭駆けまはり 猫は火燵で丸くなる」という句がありますが、自分は犬のようなのだろうか、猫のようなのだろうかと思いました。東京も積雪が報じられていました。

 3章でパウロはテモテに、教会の指導者の資格をはっきり述べています。監督、執事と言う役職がすでにこの頃の教会に置かれていたことが分かります。現在の教会では教会によって違いはありますが、おおむね監督とは牧師や教師、伝道師や宣教師、執事は長老や執事、役員、主事などに当てはめることができるでしょうか。

 監督については15項目挙げられています。それらは何かの順序に従っているわけではありませんが、最初にある「非難されるところがなく」ということばは、その後に挙げている一つ一つのことを最初にまとめているのかもしれません。

 パウロはここで、指導者に求められる厳しく高度の資質を挙げて指導者となることに否定的な、また消極的な姿勢を持っているのではありません。1節に「立派な働きを求めること」だと書いています。だからこそ、ふさわしい者が指導者になるのだと言うのです。ここにあるパウロのことばの背景としては、エペソの教会で、なるべきでない人々が指導者、教師となって混乱に陥り、テモテが対応に苦闘していたと言うことがあると思います。監督の資格の一つに「教える能力」というものがありますが、それ以外のことは人格的なものだということに注目します。

 8節以降は執事の資格を挙げていて、7つ数えることができます。「保つ」「制する」「治める」などということばが目に留まります。ここでも、能力よりも人格に重きが置かれているのです。

 ここを読みながら、「私はここにある資格に適合する」と胸を張って言える人はいるのだろうかと考えるのです。いないのではないでしょうか。しかし、だからといって「誰でもよい」のではないのです。足りないことを自覚する者は、成長を信じてキリスト者としての基本を怠ることなく歩むことなのではないかと、ここから教えられます。資格がないということを理由に放り出さずに…。


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