みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

真理のうちを歩む人

2018年03月02日 | ヨハネの手紙第三

ヨハネの手紙第三

 予定より半日早く帰宅しました。前夜ニュースで大寒波がやって来ると報じられていたので、帰りの便をチェックしてみると、なんとキャンセル! 代わりに朝7時発の便が提案されていたので変更するとともに、宿泊を取りやめてその夜のうちに空港に行くことにしました。ところが空港行きのバスは運休。たまたま通りかかったタクシーで空港に行き、そして「空港泊」を体験できました! 翌朝はさらに悪い天候の下で離陸し、昼前に戻ることができました。あとのニュースで、その空港は悪天候のためきょういっぱい閉鎖すると報じられていました。

 ヨハネの手紙第三には、これまでの二通の手紙とは違って3名の人の名前が登場しています。前の手紙と同じく、ヨハネは自分を「長老」と紹介しています。

 この手紙の受け手のガイオは教会の指導的な立場にあったようで、ヨハネは彼のことを真理のうちに歩む人、自分の子どもたちの一人だと書いています。ここからは、ヨハネがガイオにとっての霊的な親のような立場にいたことを想像することができるでしょう。ちなみに、新約聖書にはガイオという名の人が三名登場してきますが、使徒20章4節に出てくるデルベ人のガイオではないかと考えられています。

 ガイオは真理のために働く同労者として、特によそから来た人たちのはたらきを忠実に行なっていました。「よそから来た人たち」というのは、旅をしている伝道者のことのようです。福音を伝えるために旅をする働き人はイエスが弟子たちにお教えになったように、余分なものは持たずに、報酬を求めず務めに専心していますので(7)、旅先でのもてなしはありがたいものだったに違いありません。

 二人目はディオテレペスです。彼はガイオとは逆の行動をしていました。そして、ガイオたちを悩ませていたのです。そこでヨハネは、自分が直接行って、彼をとがめるとまで書いています。そしてその前に、ガイオたちのところにデメテリオを遣わそうとしていました。

 愛は人が真理のうちを歩む、つまりイエスをキリストと信じたことにふさわしく歩むことの証しです。愛はその人の態度や行動に表れ、証しされていくのだということを、正反対に歩む二人の姿が伝えています。

コメント

真理に歩む

2013年02月22日 | ヨハネの手紙第三
ヨハネの手紙第三


 昨日は「みことばの光」5月号編集で聖書同盟事務所へ。一週間前に整版ソフトに流した原稿を突合(つきあわせ)する作業です。昨日は主がヨナのために日陰を備えられたという箇所で、「日陰」と「日影」の違いを再認識できました。
 「日陰」:物のかげになって日光の当たらない場所 「日影」:日の光、日ざし (「大辞林」より)
 同じ読みをすることばが、一義的には反対の事象を表しているのですね。「今ごろわかったのか!」とおしかりを受けそうですが、60歳を過ぎの新しい発見はとてもうれしいものです。すぐに忘れるのが、問題なのですが…。

 第二の手紙とは違い第三の手紙は宛先がはっきりしています。しかも、この手紙にはガイオ、デオテレペス、デメテリオの三人の名前が出てくるのです。
 「みことばの光」には、当時各地を訪ね歩いて福音を宣べ伝えていた巡回伝道者がいたと説明しています。彼らを迎えてもてなすのは、何度も繰り返されている「真理に歩んでいる」ことの証しなのだとヨハネは言います。

 「真理に歩む」とは、高尚な生き方をするかのような印象がありますが、ここでは、使徒ヨハネが第一の手紙から書いてきた、兄弟を愛することを指しているのだと考えられます。
 
 そんな「肉の思い」がふつふつともたげる自分なのだということを忘れずに、そしてそのようなものに豊かな恵みを賜った主を覚えて、一日を過ごします。


     

コメント

2011-2019© Hiroshi Yabuki