ヨナ書 4章
35年にわたってヨーロッパを中心に、音楽によって福音を届けてこられた工藤篤子さんがきのうの礼拝でご自分がどのようにしてイエス・キリストを信じ、今に至ったのかを話してくださいました。かつての罪を包み隠さずに話すことができるのは、ほんとうに罪がキリストの十字架によって赦されているからだと、聴きながら神さまをほめたたえました。
4章には、ヨナと神との対話が綴られています。それは、遠慮のない対話です。ヨナはニネベが都を挙げて罪を悔い改めてことで不愉快になり、怒りを神にぶつけます。
読みながらクスッとしたのは、2節のヨナのことば。「あなたが情け深くあわれみ深い神であり、怒るのに遅く、恵み豊かで、わざわいを思い直される方であることを知っていた」として彼は怒っているのです。喜ぶべきなのに…と誰もが思うでしょうが、いざ、自分がいやでいやでたまらない人が神の恵みを受けたときに、「ほんとうに良かった」と心から喜べずに複雑な思いになる、人間の心の狭さのようなものを、ヨナの態度から知るのです。
2節でヨナは、ニネベの人が悔い改めたので神がわざわいを思い直されたことに怒り、8節では1本の唐胡麻が枯れてしまったことに怒ります。しかし、彼の怒りには通じるものがあります。自分の思いどおりに物事がならないことに怒るのです。
神の愛の想像もつかないほどの大きさと人間の心の小ささとが浮き彫りにされるやりとりとして、ここを読みました。