みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

身を切るような

2022年05月30日 | エズラ記

エズラ記 10章18−44節

 牧師就任式でミュンヘンへ。合間に美術館に行きました。日曜日なので1ユーロで観賞できます。時間がないので、ルーベンスとレンブラントの作品が展示されている部屋だけを訪ねたのですが、それだけでも十分でした。

 エズラ記10章後半には名前が並びます。異国人の女を妻にした人々の名前であり、それは大祭司から一般の民までのリストです。それは、イスラエルのあらゆる人々の間で異国人、異教徒との結婚が普通に行われていたことを示しています。

 この出来事は、そのような結婚をしていた人々の名前を公表してよしとするというものではありませんでした。彼らは妻とも子どもとも別れるという選択を迫られたのです。本章の初めの部分には、このような文字どおり身を切るような改革は、一人の罪の悔い改めから始まりました。

 当事者を吊るし上げるというようなやり方ではなくて、心に示された者は名乗り出るということでした。ですからここに描かれているのは、神の民の悔い改め、リバイバルです。しかし、ヒューマニズム(人間中心主義)から考えるならば、これは許しがたいことです。しかし、これほどまでに厳しい改革が進んだということは、放っておいたら神の民としてのあり方が全くゆがめられてしまうという危機にあったからなのです。

 常に神の前の私とは何か、どのように歩むかをおぼえ続けることが必須だということを、ここは私に教えています。


そこから祈った

2022年05月28日 | エズラ記

エズラ記 9章

 月に一度の聖書を読む会。難しいと思う箇所も分かち合うことによって一人で読むよりも理解できたのではないかと思います。お昼も一緒にいただきました。一人で食べるよりも何倍も美味しくいただきました。

 「一緒に」何かをするというのは喜ばしいことですが、本書の9―10章の出来事は、「一緒に…」が大きな問題となりました。問題とは、イスラエルの民だけでなく、神に仕える祭司やレビ人も含めて、異宗教の娘たちと結婚しているということでした。

 エズラへの報告を注意して読みますと、「異国の忌み嫌うべき習慣と縁を断つことなく」ということばに目が留まります。この事件の深刻さは、結婚によってイスラエルの民と神との結びつきがゆがめられてしまうということにありました。

 本書の前半に、神殿の再建工事に協力したいと言ったサマリアの人々の申し出を、当時の指導者たちは断った、そのために工事は長い間中断を強いられたということが詳しく書かれています。それはエズラが帰還する数十年前の出来事でした。そして、それ以降もイスラエルの民の信仰の根幹を揺さぶろうとする妨害が続いたことが綴られています。

 なぜエズラが、自分が帰還する前の出来事をかなりの文章を費やして書いたのかというと、9―10章に詳しく述べられている異宗婚の問題も、これまでイスラエルの民が経験したことと根は同じだということを伝えたいのです。「このような結婚の何が問題なのか」についての答えの鍵は、これまで書かれてきたことの中にあります。

 聞いたエズラが「茫然として座り込んでしまった」との、3−4節のことばが心に留まります。それほどのことでした。しかし彼は、茫然として終わりではありませんでした。そこから祈ったのです。


祈って始まる旅

2022年05月27日 | エズラ記

エズラ記 8章21ー36節

 昨日は「キリスト昇天日」で祝日。窓越しに、そして外歩きの中でできるだけ空を見るようにしました。どのようにしてキリストは昇天したのだろうか、そして負いで異なるのだろうかと想像しつつ…。

 8章後半にはエズラたちのエルサレムへの長旅の様子が記されています。旅の出発はアハワ川のほとり。彼らはここで断食をし、そして神に道中の無事を祈りました。「祈って始まったことだから何が起こっても心配はない」ということばを思い出しました。

 次に彼らは、エルサレムの神の宮に献げるために持参する富を祭司長たち12人に管理させました。神の宮での礼拝の務めを行う彼らでしたので、託されたささげ物を間違いなく守との確信に基づいて託したのだと思います。

 そして、5か月の旅路は守られ、彼らはエルサレムで主を礼拝し、持参した献げ物をささげたということでこの章は終わります。

 31節の「その道中、敵の手、待ち伏せする者の手から…救い出してくださった」とのことばに目が留まりました。「救い出してくださった」というのは、旅の間中何事もなかったということではありません。旅は常に危険と隣り合わせで、敵や待ち伏せする者たちに遭遇したことを想像するのは間違ってはいません。「救い出してくださった」は、実際にはそのような者たちが現われた、しかし、神はそのようなことから守ってくださったのです。

 クリスチャンの道中は、何事もなく平穏無事とは限りません。むしろ、何かが起こるのです。しかし、神の御手は、そのような危険に遭遇した旅する者たちを守のです。


指名された者

2022年05月26日 | エズラ記

エズラ記 8章1−20節

 6―8月の三か月間、一か月9ユーロでドイツ鉄道全路線の普通列車、地域急行、地下鉄、路面電車、バスすべてが乗り放題になる切符を発売したところ、すでに100万枚が売れたと報じられました。3か月27ユーロで済むのです。住んでいる都市の一日乗り放題切符が5ユーロちょっとですので、大変お買い得。あるニュースは、客が殺到して混乱する恐れありと報じています。Co2削減を目指しての政策の一つですが、思い切ったことをするものですね。

 8章前半には、エズラと一緒にバビロン捕囚から帰還した人々のリストがあります。13節に「最後の者たち」ということばは、この部族でバビロンに残っているのは一人もいないということを表しているのでしょう。

 15節の「アハワ川」は、バビロン市の郊外を流れるユーフラテス川の支流の一つ、運河でした。ここがエルサレムに帰還する人々の集合地だったのでしょう。レビ人は祭司の務めを支える、神殿ではなくてならない務めをしていました。しかし、帰還者の中にレビ人を見つけることができなかったのです。

 エズラは、「まあ、いいか」とすることなく、レビ人を募集することにしました。このことは、エズラがエルサレムの神の宮で神を礼拝することを重んじていたことを表しています。

 20節の「指名された者」ということばに目が留まります。募集を受けて応募するというのは、その人の気持が動いたということです。何がそうさせたのだろうかと想像するのですが、その動機はここには書かれていません。

 神の恵みの御手はエズラたちの上ににありました。いや、募集に応募した人々にも神の恵みの御手が述べられていた、応募はその御手のわざなのです。


神の御手が…

2022年05月25日 | エズラ記

エズラ記 7章

 食べ物の話が続いて恐縮ですが、アプリコットを食べました。ジャムにすることが多いと思いますが、「すっぱうまい!」という形容がぴったりかもしれません。酸味は初夏の果物の味のようです。

 この章から、本書の作者エズラが登場します。

 はじめに、エズラが祭司の家系だということが詳しく記されます。次に彼はバビロンから登って来たこと、つまり捕囚からの帰還民の一人だったことが明らかにされます。そして、彼がモーセの律法に通じた学者だったということも…。

 アルタクセルクセス王の時代は、紀元前465年から424年。エズラがエルサレムに帰還したのは、アルタクセルクセス王の第7年ですから、458年。ネヘミヤの帰還は445年でした。この箇所には、なぜエズラがエルサレムに戻ったのかが書かれています。それはペルシアの王アルタクセルクセス王の命令だったのです。ここを読むと、王はエズラのためにできる限りの便宜を図っています。そして、その命令の中心が神を礼拝することだったということです。ペルシア帝国は、支配する地に対して融和政策をとったということで知られますが、これほどまでなのかと驚かされます。

 この章で繰り返されていることばが目に留まります。それは、「彼の神、主の御手が彼の上にあった」です。エズラ自身も「私の神、主の御手が私の上にあったので…」と語ります。

 単に運が良いとか、人に恵まれているなどという理由では語り尽くせない、それは神の御手があったから、なのです。


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