テサロニケ人への手紙第一 5章12−28節
左肩に筋肉をつけるために理学療法を始めました。痛みのゆえに動かすのを躊躇していたのですが、痛みを堪(こら)えられるところまで動かすようにとのことでした。
テサロニケの信徒たちへのパウロの初めの手紙も終わりの部分です。ここには、多くの人に親しまれていることばがあります。手紙の前後関係から離れてここだけをピックアップして覚えている方も少なくありません。「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことにおいて感謝しなさい。」という16−18節のことばです。
これは、私の転機となることばでした。妻と私は、伝道者としての歩みの始めに、自分たちの意思とは違い幼児教育の働きに就くことになりました。教会が始めたばかりの幼稚園の毎日の礼拝で、子どもたちに聖書を話す務めをいただきました。とはいうものの、専門的に学んだわけではない者がどのようにして子どもたちに、しかも「難しい」聖書を話すことができるのだろうかと不安でした。最初の話として選んだのがこの聖書のことばでした。振り返れば、それは私に必要な神からの問いかけ、促しのことばでした。
絵心もないのに何枚かの絵を描き、ペープサート(紙人形劇)のスタイルでお話しをしました。その時子どもたちは、私の話を一生懸命聴いてくれました。その姿に励まされて、少しずつ幼児に聖書教育をすることの大切さを教えられていきました。
パウロのこの勧めは、主イエスが再びおいでになるのを待つテサロニケの信徒たちに届けられています。このことばが、福音のために、キリストのために何度となく辛い目に遭わされたパウロから出るのは驚きです。彼は、喜ぶことのできるようなことを体験できていたのではなく、むしろ逆でした。それでは、パウロのこの勧め、パウロの喜びとはどこから来るものなのでしょう。
18節に「キリスト・イエスにあって」ということばがあります。キリストであるイエスを知ったこと、このお方を主出あるとして歩むことの素晴らしさが、彼の喜びの基にあるのです。それは、私たちも同じこと…。今何に喜んでいるのだろうかと、問われます。