みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

いつも喜んでいなさい

2021年02月04日 | テサロニケ第一

テサロニケ人への手紙第一 5章12−28節

 左肩に筋肉をつけるために理学療法を始めました。痛みのゆえに動かすのを躊躇していたのですが、痛みを堪(こら)えられるところまで動かすようにとのことでした。

 テサロニケの信徒たちへのパウロの初めの手紙も終わりの部分です。ここには、多くの人に親しまれていることばがあります。手紙の前後関係から離れてここだけをピックアップして覚えている方も少なくありません。「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことにおいて感謝しなさい。」という16−18節のことばです。

 これは、私の転機となることばでした。妻と私は、伝道者としての歩みの始めに、自分たちの意思とは違い幼児教育の働きに就くことになりました。教会が始めたばかりの幼稚園の毎日の礼拝で、子どもたちに聖書を話す務めをいただきました。とはいうものの、専門的に学んだわけではない者がどのようにして子どもたちに、しかも「難しい」聖書を話すことができるのだろうかと不安でした。最初の話として選んだのがこの聖書のことばでした。振り返れば、それは私に必要な神からの問いかけ、促しのことばでした。

 絵心もないのに何枚かの絵を描き、ペープサート(紙人形劇)のスタイルでお話しをしました。その時子どもたちは、私の話を一生懸命聴いてくれました。その姿に励まされて、少しずつ幼児に聖書教育をすることの大切さを教えられていきました。

 パウロのこの勧めは、主イエスが再びおいでになるのを待つテサロニケの信徒たちに届けられています。このことばが、福音のために、キリストのために何度となく辛い目に遭わされたパウロから出るのは驚きです。彼は、喜ぶことのできるようなことを体験できていたのではなく、むしろ逆でした。それでは、パウロのこの勧め、パウロの喜びとはどこから来るものなのでしょう。

 18節に「キリスト・イエスにあって」ということばがあります。キリストであるイエスを知ったこと、このお方を主出あるとして歩むことの素晴らしさが、彼の喜びの基にあるのです。それは、私たちも同じこと…。今何に喜んでいるのだろうかと、問われます。


光の子ども、昼の子ども

2021年02月03日 | テサロニケ第一

テサロニケ人への手紙第一 5章1−11節

 2月に入り、少しずつ日の出は早く、日の入りは遅くなってきましたが、天候が…。雲の上にさんさんと輝いている太陽の光を浴びたいと待ち望むこの頃です。

 主の日、つまりキリストの再臨を待ち望んでいた教会に、どのように待つのかをパウロは書いています。すぐにでもキリストはおいでになると信じていたのですから、中にはその時を特定して周りを巻き込み混乱させる者もいたことでしょう。このようなことは今に至るまで変わることはありません。パウロは一言確認します。「主の日は、盗人のようにやって来る」と。

 そうであるならば、人はいつ「その日」が来てもよいように備えている必要があります。やってはいけないことをこっそりとやっている者にとっては、それがバレルと困る相手が来るのは恐ろしいことです。子どもの頃、母親の留守中にこっそりと美味しいものをつまみ食いをしていたら、ガラッと戸が開く音がして美味しいもまずいも分からなくなったことを思い出します。

 「主の日」「その日」はすべての人にとってのさばきの日です。しかし、キリスト者にとってその日は救いの日。喜びの日です。ですから、テサロニケの教会に限らず、代々の教会はこの日が来るのを待っているのです。パウロは、あなたがたは光の子ども、昼の子どもなのだから、目を覚ましていようと勧めます。それはもちろん、眠らないなどということではありません。11節に「現に行っているとおり、互いに励まし合い、互いを高め合いなさい」とあります。目を覚ましているというのは、このような歩みなのです。


待ち望む人々へ

2021年02月02日 | テサロニケ第一

テサロニケ人への手紙第一 4章

 

道を横断している私たちが渡り終えるまで待っていてくれた自動車の後ろの自動車から、大きなクラクション。待ち切れなかったのでしょう。当地ではクラクションがやたらになるなどということはそれほどないので、目立ちますね。気がついてみると、こちらに来てから並んだり待つことが当たり前のようになっている自分がいます。

 パウロのこの手紙は5章から成っていますが、テサロニケの信徒たちへの勧め、命令は4―5章にあります。ここには、いくつかの命令があります。総論は1節の「神に喜ばれるために歩むように」ということです。そして、その一つ一つのことはすでにパウロから学んでいるとも書いているのです。

 パウロがテサロニケに滞在したのは、3つの安息日でした。それほど長くいたわけではないのに、彼は生まれたばかりのクリスチャンがどのように歩むかについて、 そのほとんどを教えたと言うことになります。 教える側も学ぶ側も1つの場所に住み続けているならば、 時間をかけて教え学びましょうということになります。 しかしパウロは伝道者。神が示される地へと動いて行きます。「このことについてはまた後で」などということは許されなかったのでしょう。

 パウロは、彼らに異邦人の社会に立つ教会が流れに飲み込まれてしまわないように、 聖なる者となるようにと勧めます。 また、落ち着いて仕事をするようにとも勧めます。 信仰を持ちつつ死んでしまった家族や同信の友のことを案じている彼らに、 希望を持つようにと勧めます。 これらのすすめに共通するのは、キリストがまもなくおいでになるということです。 テサロニケの教会はキリストの再臨を待つ教会として知られています。 どのようにしてキリストの再臨を待つのかということを、パウロは一つ一つの具体的な勧めの中で教えようとしています。

 今多くの人たちは、感染症の収束を待ち望んでいます。私たちも同じです。さらに私たちは、やがて来るべき方を待ち続けています。 待ち望む希望が生活のさまざまな点に表れていくようにと、ここから願わされます。


与える喜び、受ける喜び

2021年02月01日 | テサロニケ第一

テサロニケ人への手紙第一 3章

 今年の当地の冬は、雪がよく降ります。けれども、注意して見ていますといつも春の到来を告げるこんな花がちゃんと咲いていました。これを見つけると「もう少しで春!」と気持ちが高まります。2月を迎えました。

 3章を読むと、パウロとテサロニケの教会の間の麗しい関係を垣間見ることができます。パウロには、迫害の中でテサロニケの教会がどのようであるのかが心に掛かっているのですが、どうしてもテサロニケを訪ねることができません。そこで「わが子」と呼ぶテモテを遣わしました。

 ここからは、テモテの報告を聞いたパウロの喜びがそのまま伝わってきます。心に留まるのは、7節の「私たちはあらゆる苦悩と苦難のうちにありながら、あなたがたのことでは慰めを受けました」ということばです。テサロニケの教会はパウロの2度目の伝道旅行で誕生したのですが、その旅はもちろん、私たちの旅人は違って快適とは程遠いものでした。ピリピで投獄され、テサロニケでいのちを狙われ、コリントでもののしられます。

 そのような中、テモテの報告はパウロを慰めるものでした。すべての苦悩がどこかに行ってしまうような喜びだったのでしょう。パウロは与える側、テサロニケの教会は受ける側という図式で考えやすいのですが、ここでのパウロのことばから思うのは、そのようなことではない、ということです。

 受けることに素直でありたいと、ここでのパウロの姿から考えます。


母のように、父のように

2021年01月30日 | テサロニケ第一

テサロニケ人への手紙第一 2章1−12節

 午後に外に出かけましたが、帰ろうとしたら雨。雨宿りしようかとも思いましたが、出発。結構雨に打たれた後、西の空には青空が…。15分ぐらい待っていれば雨に打たれることもなかったのにと反省しました。でも、負け惜しみではありませんが、フードもかぶり雨の中を歩くのもいいものですね。一日のうちにくるくると天候が変わります。

 テサロニケの教会はパウロの2度目の伝道旅行の中で、彼の働きによって誕生しました。このことについては、使徒の働き17章1−10節に書かれています。パウロがこの町に滞在したのはそれほど長くではありません。17章5節に「パウロは、…3回の安息日にわたって、聖書に基づいて彼らと論じ合った」とあります。その間に福音を信じた人々がテサロニケ教会の初めとなったのです。

 パウロたちが長い間テサロニケに滞在できなかったのは、ユダヤ人による迫害です。1テサロニケ2章2節でパウロは、テサロニケの前に訪ねたピリピでも激しい迫害に遭ったことを書いています。テサロニケに来た時の様子を「激しい苦闘」ということばで表しています。彼は、だからといって口を閉ざしはしません。その中で神の福音を伝え、その結果イエスを主と信じる教会が誕生したのです。

 迫害があるからといって口を閉ざしたり語るべきことばに混ぜ物をすることなく神の福音を語る、使徒としての権威を振りかざさずに母親のように人々をいとおしく思うパウロ。一方で彼は、自分がまさに経験している迫害の中にあってもしっかりと福音を信じるように、父親のように厳かに語ったと語ります。

 福音をゆだねられた者のあるべき姿をここに見ます。


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