詩篇 64篇
祝日の昨日は、当地から西にある町を訪ねました。お住まいの裏には森が…。
敵の脅(おびや)かしにさらされていたダビデは、神に「私の声を聞き」「私のいのちを守り」「私をかくまってください」と祈り求めています。きょうは「みことばの光」と同じタイトルをつけました。やはり、5節の「彼らは悪事に凝っています」ということばに目が留まったからです。
悪事に凝る人々はひそかに不正を企み、うまく行ったとほくそ笑んでいます。「人の内なる思いと心とは 底が知れません」ということばも心に突き刺さります。数日前、スクールバスを待っている子どもたちが襲われるという悲惨な事件が起こりました。「みことばの光」を発行する聖書同盟の事務所のすぐ近くでおこったので、他人事ではありません。メディアは犯罪者の家庭環境や生い立ちなどを報じて、「なぜこのようなことが…」と報じますが、本篇に描かれる人間の深い闇を直視すること抜きには、原因を突き止めることができません。
うそも偽りも、傷害、殺人も、悪と言われるすべては、周囲のせいにして正当化できるものではなく、私が悪を謀る者だから、私たちが悪を謀る者だから、悪事に凝る者だから起こるのだと認めて初めて、本当の解決への道をたどることができるのです。いつの間にか教会は、周りの空気に呑み込まれて人間の罪をはっきりと伝え、神が正しくさばかれるということを語るのを躊躇するようになっているのではないのかと恐れます。
主にあって喜ぶ正しい人とは、罪に嘆き悲しむという暗闇の中で、イエスの十字架による救いを信じて受け取った者だということを忘れてはならないのです。