ヨブ記 20章
31日は「ルターの宗教改革記念日」、今年は日曜日ですね。しかし、当地でもハロウィンに押されぎみ。4年前の「ルター500年」の盛り上がりがうそのようです。しかし、大切な一日として覚え続けます。
3人目の友人ツォハルの二度目のことばもヨブに刃のように突き刺さります。2節で彼は、自分がヨブのことばを受け切れずに苛立っていること、心が焦っていることを明かしています。ツォハルは自分が侮辱されていると思っているのです。
ですから、自分をそんな目に会わせるヨブは、彼にとっては悪者なのです。人はそれぞれに、自分の考えを持っています。それを誰かとの対話の中で伝えた時に、相手が同意しなかったとしたら、あるいは反対の考えを明らかにしたら、冷静でいられなくなる人は少なくありません。自分の考えをもっと強い調子で主張して、正当性を訴えるのです。
5節に目が留まります。ツォファルは、悪しき者の喜びは短く、神を敬わない者の楽しみは束の間だと語ります。そして、「彼」という代名詞を繰り返し用いて、悪しき者がどのような道をたどるのかを展開していきます。彼はここで「あなた」と言いません。落ち着いた一対一の対話を避けて、まるで一般論のように悪しき者の行く末を語るのですが、これは明らかにヨブのことです。
自分の考えにうなずかない頑固者、自分のせっかくのことばに反発して自分を侮辱する者であると決めつけたツォファルは、もはやヨブと冷静に対話する心を失ってしまったのです。
他人事ではありません。