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みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

成就するために

2024年12月25日 | クリスマス

マタイの福音書 2章13−23節

 どのように2024年のクリスマスを迎えられましたか。私たちは昨日は午後に、オンラインでクリスマス賛美礼拝を持ちました。クリスマスには必ず歌う讃美歌に加えて、今回はじめて賛美礼拝でいっしょに歌った曲も…。

 「ユダヤ人の王」として生まれたイエスは、その立場にはふさわしくない扱いを受けたということを、この箇所は伝えています。夢の中で主の使いにエジプトに逃れるようにと促されたヨセフは、すぐに行動に移します。それほど事態が切迫していたのです。

 ヨセフが夢の中での促しによって重大な決断をしたのは、三度ありました。聖書はヨセフについて多くは語りませんが、彼が主のことばにすぐに従ったことが分かります。それは、「王」を守るためにに必要なことでした。

 きょうの箇所には「成就」ということばが三度用いられています。ヨセフたちのエジプト逃避行もヘロデによる残虐な行為も、そして、ヨセフたちが再びエジプトを出てしかしナザレに住んだのも、(旧約)聖書によって予め語られていたことでした。

 本来ならば受けるべきではない扱いを、「ユダヤ人の王」は一つ一つ経験されます。それはこの王が何をするために来られたのかを伝えています。「王」がこの時に受けられたすべてのことは、私たちが救われるためでした。


礼拝する人、動揺する人、そして…

2024年12月24日 | クリスマス

マタイの福音書 2章1−12節

 本日はクリスマス・イブ。当地ではお店も早じまいです。どのようにこの日をすごされるでしょうか。

 2章1節には、イエスがヘロデ王の時代に、ユダヤのベツレヘムで生まれたとあります。ヘロデ王とは、いわゆるヘロデ大王のこと。彼はイドマヤ(エドム)人でしたが、ローマ帝国の後ろ盾によってユダヤの王として治めることを認められていました。彼の在位期間は紀元前37年から紀元前4年ですので、イエスはヘロデ王の晩年に生まれたことが分かります。

 ここから、イエスがユダヤ人の王としてお生まれになったことについて、二つの態度があったことが分かります。

 まずは、東の方からこの王を礼拝するために星を頼りに来た博士たちです。「博士」と訳されていることばには、元々はペルシアの祭司の名称だと言われますが、やがて魔術師や占星術師という意味でも用いられたようです。「その方の星が昇るのを見た」と言っていることからも、後者であったかもしれません。

 博士たちは「ユダヤ人の王」として生まれた方を礼拝するために来たとはっきり言っていますので、異邦人だったことが分かります。それからもう一つ、異邦人の彼らが礼拝するということから、この王はある限られた民族、人々だけの王ではないということも分かります。

 二つ目の態度は恐れです。ヘロデの恐れは尋常ではなかったことでしょう。自分がユダヤ人の王だと自称している彼にとって、もう一人のユダヤ人の王の誕生は恐れ以外の何ものでもありません。晩年のヘロデは王位が狙われていると疑心暗鬼になり、王位を継承すべく息子たちを殺すようなこともしました。ヘロデがこの知らせを聞いてとった行動が、恐れの大きさを明らかにしています。

 3節には「エルサレム中の人々も王と同じであった」とあります。恐れたのはヘロデだけではなかったのです。彼らは、ヘロデの恐れの余波を恐れていたのかもしれません。

 今は「ユダヤ人の王として」イエスが生まれたことにどのような思いを持つのだろうかと考えますと、それは無関心ではないでしょうか。恐れるとは、相手を意識することから生まれます。しかし無関心はそうではありません。そもそもイエスが生まれたことに関心を持つことがないのです。

 この日、この王の誕生に関心を持ち、礼拝する者が増やされるようにとお祈りします。


思い巡らす中に…

2024年12月23日 | クリスマス

マタイの福音書 1章18−25節

 土曜日は、隣国ストラスブールの礼拝に参加するために、余裕をもって電車で出かけたのですが…。なんと、接続するはずの列車が、私たちの列車が到着すると同時に出発してしまいました。当地では、こんなことは「あり」です。その結果、乗り換えるはずの大勢の乗客が二時間以上も足止めに。当地でクリスマスは大移動の時期。それと重なってしまい、結局礼拝開始が1時間遅れ、たくさんの方にご心配とご迷惑をおかけしました。

 マタイの福音書1章は、マリアの夫ヨセフを描いて、メシアイエスの誕生の出来事を書いています。クリスマスストーリーではマリアに焦点が当たることが多いのですが、ここを読むとヨセフの姿勢が大切だったことが分かります。彼は婚約者の妊娠を聞いて、まず自分のことではなくマリアのことを考えます。「マリアをさらし者にしたくなかったので」という19節のことばからは、ヨセフのマリアへの愛が伝わってきます。また「正しい人で」ということからはヨセフが神の前に歩もうとしていたことが分かります。

 さらに、ヨセフはすぐに動こうとはしませんでした。20節にヨセフが「このことを思い巡らしていた」とあります。マリアのために自分に何ができるのかということ、それはひそかに彼女を離縁することだと考えながらも、すぐに行動をすることはなかったのです。自分がこうすべきだと考えてはいながらも、ヨセフは確信が持てずにいたのだと思います。

 神を信じるならば何が起こっても悩むことはないとは言い切ることができません。むしろ、神に信頼しようとするゆえにあれこれと考えることもあります。そのような時、神はヨセフに介入されます。神はヨセフには夢の中で語られました。私には聖書によって語ってくださいます。

 25節には、クリスマスメッセージの一つが置かれています。「インマヌエル〜神が私たちとともにおられる」です。あれこれと思い巡らす中ででも、常に神が私たちとともにおられるという事実があることを忘れないでいたいです。


たましいに届く賛美

2023年12月25日 | クリスマス

ルカの福音書 2章1−21節

 クリスマスをお祝いいたします。私たちにとっての最上の喜びはこれだ! ということを今年は特に覚えています。

 ここを読むと、神がご自分の子をどこに、そして誰に託されたかということをいつも思います。メシアを胎に宿したマリアと夫は、それゆえの何の特権も行使することなく、力ある者たちの命令によって旅をさせられます。そして旅先で子を産んでも、この子がすべての人にとっての救い主であることゆえの優遇もされずに子は飼い葉おけに寝かせられました。

 羊飼いたちはメシアの誕生という驚くべき知らせを聞き、おびただしい数の天使たちの歴史的な賛美を聴くという特権を得ました。そしてここで天使たちが歌うのは、永遠に変わることのない神のみこころ。「いと高き所で、栄光が神にあるように。地の上で、平和がみこころにかなう人々にあるように」ということばは、羊飼いたちのたましいに響きわたりました。彼らは生まれた幼子を探すことに躊躇することはありませんでした。

 土曜日に、マインツの韓国語教会での「クリスマスコンサート」に行きました。テーマは「グロリア」。まさに、天使たちが羊飼いたちに届けたメッセージでした。聴いているうちに感動で涙がこぼれ落ちます。なんという力強さ、なんという美しさ。それは、聖歌隊も演奏者もキリスト者だから、ということに気づきました。コンサートの終わりに、司会者がドイツ語でヨハネの福音書3章16節を読もうとしましたが、胸がいっぱいで声になりません。聴く側も……。神への賛美が聴く者の心を動かすのです。

 そのような感動が「この出来事を見届けて来よう」という行動へと進ませます。そして彼らは幼子に最初に会うという特権に与りました。このさらなる感動が彼らを次の行動へと導くのです。人々に知らせるという…。

 幸いなクリスマスをお過ごしになりますように。


口が開かれ、神をたたえる

2023年12月23日 | クリスマス

ルカの福音書 1章57−66節

 昨日は早朝に、尊敬する同労者の葬儀にオンラインで参列させていただきました。司式者は召された師から洗礼を受けた方。たましいを振り絞るように、詩篇23篇を告別説教として説いてくださいました。葬儀はわが身を省みる時でもあります。

 今日から25日まで、「みことばの光」ではクリスマスに関連のある聖書を読みます。今日はザカリヤとエリサベツ夫妻にヨハネが産まれたことが記されている箇所。 

 この老夫妻に子どもが与えられるという約束が与えられたことについては、同じ章の5−24節にあります。ザカリヤはその時以来子が産まれるまで口が聞けなくなります。長い間の沈黙の末に彼の口から出たのは神への賛美でした。産まれた子の名は、当時の慣習によるならば、父の名を継ぐことでした、あの特別な体験がなければ、二人ともその子の名前を「ザカリヤ」とすることに異議は当然ありません。率先してそのように名づけたことでしょう。

 しかし、エリサベツは「ヨハネ」としなければならないと言い張ります。慣例を破ろうとするのです。彼女は神の約束を信じること、命令を守ることを選び取りました。

 子の名を「ヨハネ」とするのは、それは神が夫ザカリヤに命じたこと。夫へのことばは妻にしっかりと伝えられていました。夫の口が利けないほぼ1年近くの間の夫妻の交わりは、これまでになく豊かなものではなかったかと想像するのです。

 書き板にザカリヤが「ヨハネ」と書いたその時、ザカリヤの口が開かれました。神が開いてくださった口から最初に出たのは神への賛美。二人の行動の一部始終を見ていた周囲の人々は神への恐れをいだいたと65節にあります。


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