みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

純真な心を奮い立たせる

2020年03月16日 | ペテロの手紙第二

ペテロの手紙第二 3章

 先週後半、新型コロナウィルスの感染者増加に伴い、ドイツ連邦政府、それぞれの州政府も拡大防止のための方策を発表しました。その中には、100名以上が参加する行事、集会を4月19日まで禁止するというものもあり、礼拝のために借りている教会はこの方針に沿って、4月19日までのすべての集会を取りやめることになりました。それに伴い日本語教会も、集まっての礼拝を休止することにしました。

 それでも「思いを一つに」礼拝する教会でありたいと、昨日は互いに確認し合いました。

 3章には「神のことば」によって先に向かって行くようにという、ペテロの願いが響いているようです。1節のことばから想像するのは、この手紙を受け取った教会、信仰者たちは、何らかの事情で初めの純真な心をどこかに追いやってしまったのではないか、ということです。

 純真な心とは、主キリストが再びおいでになるという約束を待つことです。「何も変わっていないではないか」とあざける者によって、信仰がぐらついてしまう人々も出たのでしょう。しかしペテロは、必ず約束のことばどおりになると励ましています。

 神のことなどどこか脇に追いやってしまうような世界で、キリストが再びおいでになるのを信じて待つのがキリスト者、教会です。

 未知のウイルスの拡大の脅威の中にあり、飛び交うことばに恐れおののくことなく、動くことのない神のことばに信頼して歩むことのできる幸いに感謝するとともに、このことばの恵みを少しでも分かち合いたいと願います。

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二つの方向

2020年03月14日 | ペテロの手紙第二

ペテロの手紙第二 2章

 日本にいる家族と連絡を取り合っていますが、互いのあいさつは「そっちは大丈夫?」です。それぞれが新型コロナウィルスの報じられる情報を元に「相手はたいへんだ!」と思っているのがわかります。

 まもなくこの世を去るのが遠くないと悟ったペテロによる、諸教会への励ましのことばが続きます。ここにあるのは、教会を荒らしやがては滅ぼす偽教師の出現です。彼らはひそかに異端を持ち込みます。そして、主を否定します。特に、主イエスが神である人であることを否定する教えを教会に持ち込みます。

 彼らの影響を受けた信仰者は食い物にされ、その生活は放縦に流れてしまいます。結局のところ、偽教師のねらいは、信仰者を主イエスから自分のほうへと引き寄せることにあります。偽教師はペテロがこの手紙を書いた時から今まで、ずっとあり続けます。

 ペテロは旧約聖書の例を挙げて、偽教師は必ず神のさばきによって滅ぼされると明言します。

 心に留めたのは、ペテロがロトを正しい人と見ていただけでなく、「不法な行いを見聞きして、日々その正しい心を痛めていた」と書いていることです。ロトはアブラハムと比較されてどちらかというと信仰に徹底しないなどと考えられるのですが、ここではそうではありません。自分が選んだ道とはいえ、ロトは罪の誘惑にさらされる中で悩みの中にいました。神はそのことを心に留めておられるのです。

 一面的な見方で人を評価し持ち上げたり蔑んだりすることの危うさを、ここからも知らされます。

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さらに確かなことば

2020年03月13日 | ペテロの手紙第二

ペテロの手紙第二 1章12−21節

 今回の新型コロナウイルスについて、世界保健機構(WHO)はパンデミックだと一歩踏み込んだ見解を示しました。パンデミックとは「世界的流行」との意味だそうです。このような公式機関のことばも含めて、私たちの心がさまざまなことばで右に左に揺れ動くことものだということを改めて突きつけられた思いがします。たくさんの情報の中には、耳を傾けるべきものもありますが、噂やデマも少なくありません。

 1章後半には、宛先の教会、信仰者たちに、すでに知っている主イエスについての真理を、今の時だからこそ思い起こして、時代に流されることなく、真理に基づかないたくさんのことばに右往左往することなく、心を奮い起こす必要があると促しています。

 この時ペテロは、自分の地上でのいのちが長くはないことを知っていました。だからこそ、彼自身心を奮い立たせて自分が主イエスと一緒にいた時に目撃したことをここで伝えているのです。主イエスの変貌の出来事です。あの時、ペテロは何が起こったのか理解できずに的外れなことばを語りましたが、やがてすべての意味を理解したのです。

 けれども、彼はこれよりももっと確かなものをあなたがたは持っているのだと続けます。それは預言のことばです。聖書(旧約聖書)が語る主イエスについての一つ一つの預言のことばが今の暗い時代を照らすともしびなのだと言います。

 こんな時だからこそ、いやいつも、神のことばである聖書に聴き、それを最も確かなこととして歩むことのできる幸いを覚えます。

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主イエスを知ることによって

2020年03月12日 | ペテロの手紙第二

ペテロの手紙第二 1章1−11節

 水曜日朝の祈祷会に向かう道で、数日前には気づかなかった黄緑がかった灰色の新芽が吹いていました。寒さの中で咲いていいのかを探っていた感のあるクロッカスも、安心したように花弁を開きはじめています。ウイルスのニュースであふれている中にいると、気持ちが縮こまりがちになることでしょう。自然の小さな営みの中に春を見つける楽しさを味わっています。

 「みことばの光」では続いてペテロの手紙第二を読みます。この手紙は第一の手紙のように、現在のトルコに広範囲に存在する主の教会に回し読みされたものだと考えられています。

 「私たちと同じ尊い信仰を受けた方々へ」という最初のあいさつのことばが目に留まります。この時、ペテロは教会の指導者として尊敬を集めていました。自分たちをこのように呼ぶのを知った人々は、どんなに励ましを受けたことだろうと、想像します。

 そして、ペテロの最初の願いは、神からの恵みと平安がますます与えられるようにということでした。これは、この手紙を書きながらのペテロの祈りであったことでしょう。今日の「みことばの光」は、このことばについて、「私たちにはまだまだ信仰の伸びしろがあると神が見ていてくださる」と解いています。

 「主イエスを知る」ということばは、8節にも、そして手紙の終りの3章18節にも見られます。イエスを救い主と信じて、そこにとどまるのではなくて、救い主なるイエスを知り続けるというのが信仰者の人生の課題だと教えられます。このことはペテロ自身、イエスとともに過ごさせてもらった日々の中でそうでありましたし、復活して天に昇って行かれてからも同じでした。

 しかし、主イエスを知るというのは、単に知的に理解するということではないとわかります。生き方につながります。4節には「神のご性質にあずかる者になる」という目当てが示されます。それは、具体的には愛する者になるということです。

 伸びしろがあるのか…と、古希を間近にした私は心を奮い立たせられます。

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忍耐深い神

2015年03月20日 | ペテロの手紙第二

ペテロの手紙第二 3章

 だれにでも平等に与えられているのが「時」だとよく言われます。けれども、人によって時の感じかたはまちまちですし、同じ人でもゆっくりと時が進むと感じる場合と、矢のように…という場合とがあります。これから、川越にある高齢者の施設に向かうのですが、今までに間に合うかと心配することが何度かありました。そんな場合には、時間が速く進んでいるのではないかと感じてしまいます(もっとも、自分がいつもどおりに家を出ればよいだけのことなのですが…)。

 「みことばの光」が書くように、この手紙の読者の中には、キリストはどうして早く来てくださらないのかと心配している信仰者たちがいました。外からは迫害、内にはにせ教師という危機に際して、キリストが早くおいでになって教会を正してほしいとの願いが高まったのでしょう。特に、自分たちの乱れた生活に浸り切っていたにせ教師は、4節にあるように「何も変わりはしないではないか」とうそぶいていました。

 主イエスが私たちの期待したとおりに行動なさらないのはよく考えれば当たり前のこと。そうとはわかっていながらも、やはり「早く来てください」と心が急(せ)きます。しかし、それは主の忍耐であって、すべての人が悔い改めに進むのを望んでおられるからなのだとペテロは書くのです。

 主を三度も否むという大失敗をしようとしているペテロに主イエスは、「わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい」とおっしゃいました(ルカの福音書22章32節)。主の忍耐を説くペテロは、あの時主イエスが自分に語ってくださったことばを心に刻んでいたのではないでしょうか。

 主の忍耐を思います。

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