テトスへの手紙 3章
月曜日は、日本との間で「みことばの光」12月号の編集をしました。時差の関係で当地朝4時半からの仕事ですが、10月からは夏時間が終わりますので、さらに1時間早くなります。9月に入ってまもない今ごろに12月号の作成をするのですが、改めて不思議な思いがします。12月号はいつになくたくさんの聖書箇所を読みます。今からお楽しみに…。
パウロによる「テトスへの手紙」は全部で3章ですから、きょうで読み終えます。サーッと過ぎ去ってしまうようです。この章でパウロはテトスに、教会が社会の支配者や権威者に従い、良いわざを進んでするよう教えよと書いています。2章にもありましたが、福音は社会の仕組み、形をラディカルに変えるというようには働きません。一人ひとりのたましいを造り変えるのです。ですから、パウロがここで書いているのは、保守的と受け取られやすいのです。できる限りこの世の支配者や家に従えと言うのですから…。
しかしよく考えてみますと、仕組みを変えること以上に一人ひとりが造り変えられていくことは、世界にとって大変意義のあることです。この世の権威に対して、受身の姿勢で対するのではなくて、むしろ積極的にすべての良いわざを進んでするようにというのが、パウロがクレテのクリスチャンに願っていることでした。
3節の「私たちも以前は、…」ということばに目が留まります。この手紙を書いているパウロも、受け取るテトスも、そしてクレタにある教会の兄弟姉妹も、そして私も、お読みになっているあなたも、例外なく「私たちも以前は…」ということばに大きくうなずくことでしょう。
そのような者を神は救ってくださったのです。「救う」とか「救われる」というのは、その人が自分の力や知恵ではどうにも解決ができず、お手上げになっているような時に、神がその状態から抜け出させてくださったということです。4節の「いつくしみ」「愛」とは、罪のゆえに全く行き詰まってしまっている私たちへの神の態度です。
そのような者が救われたのです。ですから、救ってくださった神への感謝を、積極的に良いわざに励むということで表わす…、このことを忘れてはならないのです。