みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

印章とする

2021年12月22日 | ハガイ書

ハガイ書 2章

 激寒の朝、美しい景色を期待して近くの公園へ。日が昇る時でした。小さなものを創造の主は美しく飾ってくださいました。

 主は預言者ハガイを通して、一度だけでなく、二度三度と神殿の再建工事に取り組んでいる責任ある立場の人々に語っておられます。ゼルバベルは、ペルシアから任命されたユダの総督。考古学の発掘から分かったことによると、彼は紀元前597年に生まれました。バビロンによるエルサレム破壊に伴って捕囚されたとすると、10歳ちょっとの年齢でバビロンに捕らえ移されたことになります。そしてペルシアのキュロスによる帰還命令が紀元前538年に出された時は60歳前、ハガイによって主のことばを聞いて再建工事に立ち上がった時は77歳でした。

 そのゼルバベルはじめ、大祭司ヨシュア、そして民に、主は「強くあれ」と声をかけ、仕事に取りかかれと促されました。約束は「わたしがあなたがたとともにいる」ということ、しるしは「わたしの霊はあなたがたの間にとどまっている」でした。そして、彼らが工事を再開した神殿を「栄光で満たす」と言っておられます。それはたくさんの困難はあるけれども、必ず神殿は完成するという確かな展望です。

 そして、主はさらに三度目にも彼らに語られました。始めてはみたものの、困難にぶつかってくじけそうになる頃合いだったことでしょう。そこで主はゼルバベルに、「わたしはあなたを選んで印章とする」と語られました。印章とは王の封印を彫ったもの。公式な文書への署名に用いられました。ですから紛失しないように王が常に身につけていたのです。神がゼルバベルを離さないという強い思いがこのことばに込められています。


約束を信じて

2021年12月21日 | ハガイ書

ハガイ書 1章

 冬至を前にしてますます夜は長く…という時期ですが、数日経つと日が長くなります。希望を感じさせるかのように、日曜日と昨日は晴れ渡っていました。

 ハガイ書には時代を特定する情報が記されています。ダレイオス王の第二年というのは、「みことばの光」今月号の「ハガイ書を読む前に」に紀元前520年とありました。エルサレムが崩壊し、バビロンに捕囚されて70年後、バビロンを破ったペルシアのキュロス王の命でイスラエルの人々は故国に帰還することが許されました。そして彼らがまず取り組んだのはエルサレムの宮の再建でした。

 しかし、妨害ゆえに再建工事は中断に追い込まれてしまいます。私たちが住むのは住宅地ですが、そこにも家屋の新築工事途中で放置されて荒れ果てた建物があります。資金難などさまざまな理由があるのでしょうが、建築途中での中断は大きな挫折です。それをもう一度動かそうとするには、工事にとりかかった当初以上の大きな力が必要だと思います。

 神はその一部始終をご覧になり、関心を持っておられました。そして預言者を遣わしてみこころを明らかにされたのです。それは、神を後回しにする神の民の惨めさについてのメッセージでした。

 「あなたがたがそれぞれ、自分の家のために走り回っていた」という9節のことばに目が留まります。言うまでもなく、自分の生活は大切です。しかし、神を信じる者の優先順位が何かを改めて知らされます。確かに、たくさんの種を蒔き、地を耕しても、日が照らず雨が降らなければ、あるいは大雨続きであるならば収穫はおぼつきません。

 自分のためにとしてしていることは、実は自分の努力ではどうすることもできない多くのものによって支えられているのだと気づかされます。しかし、1章には希望があります。預言者によって語られたことばに従う人々がいたことです。そして彼らは、再び立ち上がりました。「わたしは、あなたがたとともにいる」という約束を信じて…。

 神のために始めたことで、中断したままでいることはないでしょうか。


きょうから後のことを考えよ

2016年12月28日 | ハガイ書

ハガイ書 2章

 住まいを離れて、青空の下での旅をしています。列車に間に合うかとハラハラしましたが、鉄道好きの勘が働いて、乗り遅れることがなくすみました。昨日も書きましたが、クリスマスの落ち着いた街飾りが素敵です。

 ハガイ書は2章の短い預言書ですが、1章には「あなたがたの現状をよく考えよ」、2章には「きょうから後のことをよく考えよ」がキーワードです。

 ソロモンが建てた神殿を知っていた人々は、彼らが再建しようとしている神殿は「まるで無いに等しい」と思っていました。そのことをよくご存じの主は、「強くあれ」と指導者のゼルバベルやヨシュアを励まし、「仕事に取りかかれ」とお命じになりました。外側は比べようが無いものはあるけれども、主は、再建しようとしている神殿にご自分の栄光で満たすと約束するのです。

 「銀はわたしのもの。金もわたしのもの」ということばを心に留めました。とかく自分たちが何をどれだけ持っているかということにだけ関心を向けやすいのですが、何事かをなすことについて、神が先立って行わせようとしておられるのなら、何を持つか持たないかで喜んだり嘆いたりすることはないのですね。


あなたがたとともにいる

2016年12月27日 | ハガイ書

 25日が終わると、あっという間に正月の飾り付けに取って代わられてしまう日本とは違って、当地では、まだクリスマスの飾りが街にあります。もちろん、クリスマス市(いち)の多くはすでに終わっていますけれども…。

 神が預言者ハガイによってお語りになっているのは「時」に関わりのあることです。「みことばの光」が書くように、バビロン捕囚から帰還したイスラエルの民は、当初は意気盛んに再建に取り組みました。ところが様々な妨害によっていつしか熱意は冷め、「小さな幸せ」に満足するようになったのでしょう。

 神の宮が廃墟になったままなのを見ても、心が動かずに、いや、心をあえて動かそうとしないのでしょう。そのような民に神は「あなたがたの現状をよく考えよ」と、繰り返し気づきを与えておられるのです。「小さな幸せ」が悪いというのではありません。見るべきもの、大切にしなければならないことから目をそらしていることを、神は問題視しておられるのです。

 心を込めることをしないままに何かに取り組んでは見たものの、何かのきっかけで頓挫(とんざ)してしまったことを、「時ではなかった」と言い訳するようなことがある、のだと心探られます。


きょうから後のことを

2011年12月21日 | ハガイ書
ハガイ書2章

 
 市内の障がい者施設が主催して来月に開催する講演会のために、ホール担当者と打ち合わせをしました。以前も利用したと言いますと、担当の方が「それを参考に…」ということで資料を探してくれました。ところが、以前の開催日について、私は「一昨年だったと思う」と言い、もうひとりのお仲間は「去年だった」と言うものですから、担当者も「どちらなのでしょう」ということになりました。
 調べて見たら、去年3月に開催したということがわかりました。
 私が間違っていたということです
 障害ある人たちをたくさん雇用しておられるチョーク工場の社長さんの講演を伺ったのが、まだ去年のことだったのか、ずいぶん前のような気がしたのに…。
 今年はとても長く感じられたということだ、と納得。

 ハガイ書2章で注目したいのは、「きょうから後のこと…」という時を表わすことば。
 エルサレムに再建する神の宮の概要を見聞きして、以前の神の宮を知っている人々の目には、「まるで無いに等しい」と映ったのです。この「気分」が民全体にまん延していったら、神の宮の再建工事はストップしてしまうに違いありません。
 そのとき、神は預言者ハガイによって、指導者をそして民全体を励まし奮い立たせようとなさいました。そして、その一つ一つは、自分たちの力の無さにがっくりしている民を励ましてあまりあるものでした。

 ・出エジプト以来、わたしの霊があなたがたの間で働いている。
 ・揺り動かすと…すべての国々の宝物がもたらされる。
  ~銀はわたしのもの、金はわたしのもの~
 ・この宮のこれから後の栄光は、先のものよりまさろう。
 ・わたしはまた、この所に平和を与える。
 ・きょうから後、わたしは祝福しよう。

 もちろん、現状を直視することは必要です。それで自分たちの力の無さ、自分たちの罪の大きさに嘆くかも知れません。それも必要なことです。それとともに、神の民に約束されている「きょうから後のこと」をよく聞いて、考えることはさらに必要なことだと思いました。

 みことばを読み、「きょうから後のことをよく考え」る時を、この日、どこかで持ちたいですね。



 


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