ヨシュア記 6章
5月は今日が最後の日。一ヶ月前は日本にいたのです。
ここには、ヨシュア記で、いや聖書全体で、印象に残る出来事の一つが記されています。1節に「エリコはイスラエルの子らの前に城門を堅く閉ざして、出入りする者はいなかった」とあります。このことばは、人間の力でエリコを攻略するのは難しい、いやできないことを強調していると私は読みました。
エリコがイスラエルの民がカナンを征服するための最初の関門であり、最大の関門だということを、指導者ヨシュアが知らないはずはありません。しかし、エリコの城壁を前にするまで、ヨシュアたちが軍備を整えたなどという記録はありません。
しかし神は彼らに、エリコ攻略に必要な備えをこれまでに与えてこられたのです。備えとは神が彼らと、そして特に指導者ヨシュアとともにおられるという事実であり、神のことばに従うことによってヨルダン川を渡り切ることができたという事実です。また、2節のことばに目が留まります。神はすでにヨシュアたちにエリコを渡されたというのです。まだ実現していないことなのに、それがすでに起こったことだとしています。
ここで神がヨシュアたちに与えられた命令は、攻略の作戦ではなくて、エリコを囲んで神を礼拝するということでした。方法論を戦わす前にまず神を礼拝するというのは、いつの時代にも通じる神の民の基本姿勢なのだと、ここから教えられます。