みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

ニネベにも預言者にも

2023年11月08日 | ヨナ書

ヨナ書 4章

 火曜日午後、宿泊している場所を大きく囲むように、山歩きをしました。こちらの紅葉は黄色が多いと思いましたが、美しいことに変わりはありません。

 あっという間にヨナ書は最終章になってしまいました。4章はじまりのことばは「このことはヨナを非常に不愉快にした」です。「このこと」とは、ニネベの人々がヨナの話を聞いて神の前に罪を悔い改め、さらに神がニネベを滅ぼすのを思い直したことを指しています。

 自分のことばで多くの人々が罪を悔い改めたというのは、預言者の働きとしては「大成功」。しかし彼は、喜ぶどころか怒りさえ露(あらわ)にするのです。ヨナの祈りに目が留まります。よく考えると不思議な祈りです。主の命令を聞いたときにタルシシュに逃げたのは、主が情け深くあわれみ深い、そして怒るのに遅く、恵み豊かで、わざわいを思い直される方だからと、理由を明らかにしています。

 つまり、彼はニネベが滅びてしまえばよいと考えていたのです。それは個人的にニネベが嫌いだということではなくて、ニネベがアッシリアの都であり、やがてアッシリアがイスラエルに攻め込んで来ることを恐れていたからです。自分たちの罪のためにニネベが滅ぼされてしまうなら、ヨナの懸念はなくなります。しかし、ヨナ自らがしたことによってニネベは生き延びたのです。

 このあとの神とヨナとのやりとりは、神がヨナが祈ったとおりの方だということを証明しました。ヨナの不機嫌に激しく怒ることなくことばを届けられる神の忍耐、そしてあわれみは、ニネベの人々だけでなく、ヨナにも注がれているのです。


人も家畜も

2023年11月07日 | ヨナ書

ヨナ書 3章

 月曜日から木曜日まで、南ドイツ黒い森の中にあるキリスト教の宿泊施設にいます。ロンドンから、パリから、そしてドイツ各地から集まった同労の14名がいっしょに過ごします。雨模様でしたが、紅葉は今が盛りです。

 神からの二度目の挑戦に、今度はヨナは答えました。彼はすぐに行動しました。しかも一回目とは違い神が行けと言われた地に向かったのです。神の命令に逆らったゆえに、祈りの危機を通ったヨナのことです。今度は逆らうことはできません。

 この時のヨナの心のうちを知ることはできませんが、嬉々として従ったということではなかったようです。それでもヨナはニネベに行き、神がするように命じたことを行ったのです。それは、「あと40日すると、ニネベは滅びる」とニネベの人々に語ることでした。ここには明かされていませんが、ヨナは滅ぼされる理由についても、誰が滅ぼすのかについてもニネベの人々に話しました。

 ヨナは自分の語ることを、ニネベの人々が聞いてくれるとは思っていなかったのかもしれません。いや、聞いてなどくれないほうが良いとさえ考えていました。ところが、ニネベの人々は上から下まで神を信じました。ヨナのことばによって神を信じたのです。そしてそれは行動の伴うものでした。難しいことばを用いると、ニネベの人々は神への信仰に覚醒したのです。

 8節に「人も家畜も、粗布を身にまとい」とあります。これは、町をあげて神の前に罪を悔い改めたということを意味しています。そして、神はニネベの人々の姿に応えられたのです。神のあわれみはなんと大きいことでしょう。ヨナのミッションは大きな成果を挙げました。「預言者冥利につきる」というのは、まさにこのようなことです。ところが……。


主を思い出すところ

2023年11月06日 | ヨナ書

ヨナ書 2章

 土曜日はフランス東部ストラスブールでの礼拝のために、往復しました。この時期の帰宅は、すでに闇に包まれている高速道路をひたすらに走ります。周囲が見えないのでかえって走りやすいかもしれません。いつもパン屋さんで購入するサンドイッチの商品名の意味を、ようやく理解しました。「ハム入りバゲットサンドイッチ」とのこと……。次の機会には他のサンドイッチ商品名の意味も解読したいと思うようになりました。

 ここには、魚の腹の中からのヨナの祈りが載っています。改めて、神は人がどこから祈ったとしても、聴いてくださるということをここから思います。2-6節は投げ込まれた海中で苦闘するヨナの様子です。そこにいるヨナは全く無力な人。彼は、海に投げ込まれて死んでしまうことを覚悟していました。神に逆らう者がたどり着く終点は死だからです。

 しかし、そのような中で、ヨナは「生きたい」と心から願うのです。そのためには、神のあわれみを願い求めることしか、ヨナに用意されている道はありません。7節の「私のたましいが私のうちで衰え果てたとき、私は主を思い出しました」とのことばに目が留まります。

 主の御顔を避けて逃走を図った預言者は、この時自分ではどこにも逃げられずに、必然として祈りによって主の前に立つことになります。しかし、それは幸いなこと。それこそ主の民の願うところだったのです。ヨナはようやくそこに立つことができたのです。


ヨナの怒り

2018年04月30日 | ヨナ書

ヨナ書 4章

 35年にわたってヨーロッパを中心に、音楽によって福音を届けてこられた工藤篤子さんがきのうの礼拝でご自分がどのようにしてイエス・キリストを信じ、今に至ったのかを話してくださいました。かつての罪を包み隠さずに話すことができるのは、ほんとうに罪がキリストの十字架によって赦されているからだと、聴きながら神さまをほめたたえました。

 4章には、ヨナと神との対話が綴られています。それは、遠慮のない対話です。ヨナはニネベが都を挙げて罪を悔い改めてことで不愉快になり、怒りを神にぶつけます。

 読みながらクスッとしたのは、2節のヨナのことば。「あなたが情け深くあわれみ深い神であり、怒るのに遅く、恵み豊かで、わざわいを思い直される方であることを知っていた」として彼は怒っているのです。喜ぶべきなのに…と誰もが思うでしょうが、いざ、自分がいやでいやでたまらない人が神の恵みを受けたときに、「ほんとうに良かった」と心から喜べずに複雑な思いになる、人間の心の狭さのようなものを、ヨナの態度から知るのです。

 2節でヨナは、ニネベの人が悔い改めたので神がわざわいを思い直されたことに怒り、8節では1本の唐胡麻が枯れてしまったことに怒ります。しかし、彼の怒りには通じるものがあります。自分の思いどおりに物事がならないことに怒るのです。

 神の愛の想像もつかないほどの大きさと人間の心の小ささとが浮き彫りにされるやりとりとして、ここを読みました。


大魚の腹の中で

2018年04月28日 | ヨナ書

ヨナ書 2章

 ヨナは大魚の腹の中で三日三晩過ごしました。2章には、その時に彼が何を祈ったのかが書かれています。

 彼は、神の命令を聞かずに反対の場所に向かう所で嵐に遭い、海の中に投げ込まれました。ここでヨナは、海に投げ込まれた彼がどんなにもがき苦しんだのかを祈っています。6節の「地のかんぬきは、私のうしろで永遠に下ろされました」ということばは、海の深みに閉じ込められてしまったという絶望の様子です。その深みから彼は、天の神に扶けを祈り求めました。

 もっとも深い所から最も高い所へと祈りは届くのです。そして、彼は助かったのです。「あなたは私のいのちを滅びの穴から引き上げてくださいました」と6節の後半で祈ります。同じ節に絶望と救いとが並んでいます。絶望の中からの祈りを神は聞いてくださるのです。

 祈りの終盤はヨブの決意です。「私の誓いを果たします」と彼は決意し、「救いは主のものです」とほめたたえます。この時、神は魚に命じてヨナを陸地に吐き出させました。彼の姿勢が変わったからです。

 ヨナにとって大魚の腹の中は、神とのかけがえのない結びつきを持てる恵みの場所でした。それは、どんな所ででも神との豊かな結びつきを持つことができると、私を励まします。

[おわびと訂正]

4月29日(日)の「みことばの光」5行目からの文章に誤った記述がありました。おわびとともに、次のように改めさせていただきます。

(誤)「さて、ヨナが吐き出されたタルシシュの海岸からニネベは、、おおよそ八百キロである。」

(正)「さて、ヨナが吐き出された地からニネベは、おおよそ八百キロである。」


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