ヨハネの福音書15章1-17節
何かやり残していることがあるなぁ…と先ほど考えていましたら、「あった!」
そうなのです。ブログの更新を忘れていました。ごめんなさい。しかも、きょうは「ぶどうの木」の箇所。
庭にあるたった一本のぶどうの木、今年は不作でした。虫に葉を食われて散々な目に。農夫が手入れを怠るとこんなふうになるということの、具体例を見ているようでした。残念!
「みことばの光」には、「刈り込みはみことばの語りかけによって進められるわざであることが示されている」とあります。神からのみことばの語りかけによって、ぶどうは実を結ぶように整えられていくというのは、なるほど! と納得。
「とどまる」ということばについても…。
枝がぶどうの木にとどまるように、弟子たちもイエスとの交わりの中に置かれているのを喜び、交わりを心から楽しむのであれば、やがて多くの実を結ぶようになると約束されています。ぶどうが豊かな実を結ばせるためには、農夫の手入れや枝が幹にとどまっているという当たり前のことが大切なのだ、ということに改めて心探られます。
大きな台風が列島を縦断するとのこと、被害が出ずに水源地には適度の雨をと、勝手な願いをもっています。
何かやり残していることがあるなぁ…と先ほど考えていましたら、「あった!」
そうなのです。ブログの更新を忘れていました。ごめんなさい。しかも、きょうは「ぶどうの木」の箇所。
庭にあるたった一本のぶどうの木、今年は不作でした。虫に葉を食われて散々な目に。農夫が手入れを怠るとこんなふうになるということの、具体例を見ているようでした。残念!
「みことばの光」には、「刈り込みはみことばの語りかけによって進められるわざであることが示されている」とあります。神からのみことばの語りかけによって、ぶどうは実を結ぶように整えられていくというのは、なるほど! と納得。
「とどまる」ということばについても…。
枝がぶどうの木にとどまるように、弟子たちもイエスとの交わりの中に置かれているのを喜び、交わりを心から楽しむのであれば、やがて多くの実を結ぶようになると約束されています。ぶどうが豊かな実を結ばせるためには、農夫の手入れや枝が幹にとどまっているという当たり前のことが大切なのだ、ということに改めて心探られます。
大きな台風が列島を縦断するとのこと、被害が出ずに水源地には適度の雨をと、勝手な願いをもっています。