みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

イエスにとどまる

2012年09月29日 | ヨハネの福音書
ヨハネの福音書15章1-17節


 何かやり残していることがあるなぁ…と先ほど考えていましたら、「あった!」 
 そうなのです。ブログの更新を忘れていました。ごめんなさい。しかも、きょうは「ぶどうの木」の箇所。
 
 庭にあるたった一本のぶどうの木、今年は不作でした。虫に葉を食われて散々な目に。農夫が手入れを怠るとこんなふうになるということの、具体例を見ているようでした。残念!

 「みことばの光」には、「刈り込みはみことばの語りかけによって進められるわざであることが示されている」とあります。神からのみことばの語りかけによって、ぶどうは実を結ぶように整えられていくというのは、なるほど! と納得。
 「とどまる」ということばについても…。
 枝がぶどうの木にとどまるように、弟子たちもイエスとの交わりの中に置かれているのを喜び、交わりを心から楽しむのであれば、やがて多くの実を結ぶようになると約束されています。ぶどうが豊かな実を結ばせるためには、農夫の手入れや枝が幹にとどまっているという当たり前のことが大切なのだ、ということに改めて心探られます。

 大きな台風が列島を縦断するとのこと、被害が出ずに水源地には適度の雨をと、勝手な願いをもっています。






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わたしの平安

2012年09月28日 | ヨハネの福音書
ヨハネの福音書14章15-31節


 「今日で夫が仕事を辞めます」と、ある方が早朝の祈祷会で話しておられました。もうひとり、教会のメンバーの夫がやはり今日で仕事を終えられると聞いています。そうしたら、朝のラジオでも今日で夫が仕事を辞めるとのメールを紹介していました。
 9月終わりは事業年度では上半期の終わり。いろいろな意味で節目を迎える方が多いのでしょうね。

 最後の晩さんの席で、ご自分がもうすぐいなくなるとのイエスの話をを聞いた弟子たちは、動揺しました。
 いなくなられる前に、イエスは弟子たちにことばを遺しておられます。

 きょうの箇所にはイエスの約束がちりばめられていますが、そのどれもが、イエスがおられなくなったあとに弟子たちが思い起こし、イエスの弟子としての歩みを保ち続けるために必要な約束でした。
 数えてみましょう。
 ・わたしを愛するならば、わたしの戒めを守るはず。わたしのことばを守る人はわたしを愛する人である。
 ・父はもうひとりの助け主、すなわち真理の御霊を弟子たちにお与えになる。
 ・あなたがたを捨てて孤児にはしない。
 ・世が与える平安ではなく、わたしの平安を与えます。

 これらは、この時の弟子たちにはピンとこなかったことかもしれませんが、あとになってその約束の一つ一つが大きな意義を持つようになるものです。

 心に留めるのは、イエスが与えると約束しておられる平安。
 「平安」、ヘブル語で「シャーローム」というのはユダヤのあいさつのことばであり、「こんにちは」も「さようなら」も「シャーローム」とあいさつします。「おはようございます」、「こんにちは」、「さようなら」と互いに交わし合うあいさつを、ただ口先だけでなくて、神からの平安、イエスがお与えになる平安があるようにという思いを込めて、交わすように努めたいと願いました。
 心穏やかなときはもちろんのこと、嵐の中に投げ込まれているような場合でも…。



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「知らなかったのですか」と言いながら…

2012年09月27日 | ヨハネの福音書
ヨハネの福音書14章1-14節


 初めての映画を観るときの楽しみの一つに、話の展開にどきどきワクワクするということがあると思います。けれども、二度三度と同じ映画を観るのは、一度目とは違う楽しみがあります。
 「このあと出会うんだよな、二人は…」などと、筋書きを知っている人がだれかに話したくなるように、こっそりと自分に話しているのです。でも、決して映画の途中でいっしょに行った人に「次は…」「このあとで…」と言ってはいけませんよ。嫌われます。

 聖書によって、イエスと弟子たちのやりとりを知ることのできる私たちには「この後はこうなって、ああなって…」と先を読むことができるのですが、弟子たちは違います。
 「主よ。どこにおいでになるのですか」とのペテロの質問は、他の弟子たちにも不安をもたらしました。彼らは心を騒がしていたのです。彼らの不安のすべてをご存じのイエスは、ご自分がどこに行こうとしているのか、そこで何をしようとしているのかを弟子たちにお話になりました。「あなたがたに場所を備えたら、…わたしのもとに迎えます」とは、弟子たちにとってすばらしい約束です。この一つのことばをもって、彼らの不安はどこかに消し飛び、喜びで心が満たされるはず…でしたが、そうではありませんでした。

 トマスのことばは、彼らのさらなる不安を表すものでしょう。
 その不安から出た質問に、イエスはしっかり向き合ってお答えになります。そのお答えは、今に至るまで多くの人に希望といのちを与えるものでした。私もその一人です。
 
 「父を見たのです」というイエスのことばに反応したのは、ピリポでした。「父を見せてください」と願ったのです。見ていないのに、どうして「すでに…見た」などと言われるのだろう? これがピリポの疑問でした。
 それに対して、イエスは「どうしてわたしのことばを信じないのか。もう知らない!」と彼を突き放そうとはなさらなかったのです。9節は、鈍い彼らを嘆くことばのようにも響きます。しかし、ここでもイエスは彼のことばにしっかり向き合って、大切な真理を諄々(じゅんじゅん)とお話になりました。

 ペテロも、トマスも、ピリポも、そして他の弟子たちも、後になってこの時のイエスのことばがほんとうにわかったことでしょう。
 私たちが聖書を読むのも、「後になってわかる」ということが多いのです。
 今日もイエスは私たちに「知らなかったのですか」と言いつつも、みことばを語ってくださるように思いました。

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ユダが行く所、イエスが行く所

2012年09月26日 | ヨハネの福音書
ヨハネの福音書13章21-38節


 新米をいただきました。つきたてのそれは、一粒ずつがきらきらしておいしそうです。
 最近、一時途絶えていた空腹感を持てるようになりました。食事前に「お腹がすいたなぁ」とからだが訴えてくるように思えるのです。まじめにウォーキング&ランニングをしている成果でしょうか。それとも、食欲の秋を体が感じているだけなのでしょうか。

 ユダは、心に秘めていたことを実行に移しました。もちろん主イエスはユダのすべてをご存じで、行こうとしている道から戻るようなきっかけをお与えになりました。ユダの足をお洗いになったのも、きっかけの一つだったのかもしれません。けれども、ユダは行ってしまいました。

 ユダが出て行った後、イエスは弟子たちに新しい戒めをお与えになりました。互いに愛し合うようにという戒めです。けれども、この時のペテロの心を占めていたのは、新しい戒めではなく、「わたしが行くところにへは、あなたがたは来ることができない」とのイエスのことばでした。

 他の弟子はそうでなくても、自分だけはこのお方についていくという決意が27節からも垣間見ることができます。しかしイエスは、意気込むペテロを突き放すかのように、三度ご自分を知らないと言うと、ペテロの行動を予言されたのです。

 ユダの行く所、イエスの行く所は、私たちがどこに行くのかについての究極の二択のように思えます。「互いに愛し合うように」との戒めは、イエスの行こうとしておられる道にあるものなのです。




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模範

2012年09月25日 | ヨハネの福音書
ヨハネの福音書13章12-20節

 伸び放題にしていたネコの額ほどの芝生の手入れをしました。出るわ出るわ。ぴょん、ぴょーんとたくさんの虫たちが芝生+雑草の中から飛び出して来たのです。ついでに蚊も私を襲撃。装備万全で臨んだのですが、不覚にも顔を二箇所刺されてしまいました。
 使用したのは、ホームセンターブランドのハンディな芝刈りバリカン。実はこれ、初めのものは仕様書どおりに使わなかったために壊れてしまったのです。今回は説明書き通りに使っています。

 弟子たちの足を洗われた後で、わたしがあなたがたの足を洗ったように、あなたがたも互いの足を洗い合うべきだとお語りになり、さらにそうするために模範を残したのだと、イエスは言われました。
 主であり師であるお方が心の内に虚栄や闘争が満ちた弟子たちの足を洗うということは、居合わせた弟子たちにとって、驚くべき事件だったに違いありません。
 けれども、やがてイエスが十字架にかかり、復活して天に上って行かれたという出来事を目の当たりにし、事の真相が明らかになっていった時、洗足はありえないこと、まことにありがたいことだとして、弟子たちにしっかりと刻みつけられていったことでしょう。

 「メシヤが、この世界の創造者なるお方が自分のような者の足を洗われた」という事実は、神に仕え人に仕えるという中で起こる様々な葛藤を乗り越えるに十分なものではなかったか、と想像します。「あとになってわかる」とイエスが言われたように、彼らはあとになって洗足の意味を理解し、その体験が彼らの生き方を決定づけたといっても言い過ぎではないように思います。

 ですから、「みことばの光」が書くように、仕えることが難しく思えるときには、洗足の、そして十字架の主を見上るのです。
「模範」という感じのことばは、「模」は木製の、「範」は竹製の、器をつくる型だと辞書にありました。




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