みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

私たちの場合は…

2011年07月30日 | 歴代誌第二
Ⅱ歴代誌13章


 新潟と福島に大雨が降りました。ニュースで7年前の豪雨被害と比較されていましたが、大きな被害が出ないようにと願っています。
 4日間のキャンプが終わり、昨日の夕方に帰宅しました。毎度のことですが、帰路は安ど感からかどっと眠気が襲ってきます。高速道路の○○サービスエリヤの先辺りから眠くなるだろうなという予測がはずれて、はやくも高速の入り口前で睡魔が…。大きな電気屋さんでしばしリフレッシュ。
 はじめから「眠くなるぞ、きっと」などと予測しているから眠くなるのかも知れませんね。

 北王国イスラエルのヤロブアム王がなぜ南王国ユダのアビヤ軍の背後から攻めようとしたのかを、考えてみました。もしかしたら、アビヤ王の宣戦布告に恐れをなしたのかも知れません。兵力では圧倒的にまさっていながらも、ヤロブアムは「私たちの場合は、主が私たちの神である」「…それに反し、あなたがたはこの方を捨て去った」という、アビヤのことばを重く受け止め、まともに戦っても勝ち目がないと考えたようです。兵力にまさるのに負け戦を予感するというのは、不思議な感じがしますが、そのようなことは聖書の他の箇所にもみられますね。

 「みことばの光」の「勧め」に「列王記と歴代誌ではアビヤの評価が正反対に見える。その両方に真実がある」とのことばに目がとまります。アビヤは、この戦いにおいては主に拠り頼んだ、それゆえに主はアビヤたちに勝利を与えられた、ということではないでしょうか。





クレイジーだよ

2011年07月29日 | 歴代誌第二
Ⅱ歴代誌12章


 火曜日からの小学生キャンプもきょうが最終日。このキャンプには、ロスアンジェルス近郊にある韓国人教会の青年たち20名が奉仕に来ています。彼らは先週日曜日に日本に着き、月曜日はキャンプ場で準備。火曜日からキャンプで奉仕、明日は帰国します。

 昨日の夜、メンバーの一人が涙ながらに証しをしました。
 「友だちに、この夏は宣教に行くと話しました。『どこに行くの?』と聞かれたので、「日本に」と答えました。すると、友だちは『クレイジーだよ。どうしてこんな時に日本に行くの? 地震があって、津波があって、そして放射能に汚染されているんだよ』と言いました。
 でも、日本に来ることができたことを神さまに感謝しています。ぼくたちは、みんなに会うために、みんなにイエスさまのことをもっともっと知ってもらいたいと思い、何ヶ月も準備して日本に来ました。
 ぼくたちのカメラには、東京タワーや日本のいろいろな場所の写真は1枚もありません。お土産は、カメラに収められたみんなの笑顔です。」
 こんな時に、日本に来てくださったおひとりびとり、そして遣わしてくださった主に心から感謝します。素晴らしいキャンプです。

 レハブアム王について、歴代誌では「彼は悪事を行った」と総括します。改めて読み直してみますと、彼の首尾一貫しない主に対する姿勢が浮き彫りにされます。
 「王は民の願いを聞き入れなかった」(10章15節)、「彼らは主のことばに聞き従い」(11章4節)、「彼は賢く事を行い」(11章23節)、「主の律法を捨て去った」(12章1節)、「…へりくだり『主は正しい』と言った」(12章6節)、「心を定めて常に主を求めることをしなかった」(12章14節)。
 アップダウンが激しいですね。でも、自分を見ているようです。

 それとともに、罪を悔い改めた時に示される主のあわれみのゆたかさをも、この箇所から教えられます。私たちは、このあわれみによって支えられているのだと、心から思いました。





引き返した

2011年07月28日 | 歴代誌第二
2歴代誌11章


 「あの時の判断が生死を分けた」、ということがあります。
分裂したヤロブアムたちと戦おうとして18万人の兵士を招集したレハブアムは、主のことばに聞き従って行軍を中止して従ったとあります。これが、この後のレハブアムの治世を決める大切な判断になって行くように思うのです。
 その後、レハブアムはユダに15の防備の町を築くのですが、地図で確認するとそれらはユダの南部と西部に位置しています。「あなたがたの兄弟たちと戦ってはならない」との主のことばに従う姿がここにもみられます。
 さらに、北からの祭司やレビ人、それに「心をささげてイスラエルの神、主を尋ね求める者たち」がイスラエルの全部族の中から集ってきました。この人々の活躍によって、レハブアムの王権は強固になって行くのです。

 ですからレハブアムは、「私を慕ってやって来てくれた」と勘違いしてはならないのです。また、「みことばの光」にはイスラエル各地からエルサレムに出てきた人々の「主に対する忠誠は長続きせず、三年しかもたなかった」とあります。
 高ぶって国を分ける原因を作るかとおもうと、主のことばに従って一触即発の危機を回避するレハブアム、そして主への忠誠が長続きしない人びとの姿は、主に従ったり、そうでなかったりを繰り返す私たちを映しているようにも思いました。

 キャンプ場は涼しくて、陽射しがほしいぐらいです。
 




自分たちの天幕に帰って行った

2011年07月27日 | 歴代誌第二
Ⅱ歴代誌10章


 昨日から始まった小学生のキャンプに来ています。台風以降比較的暑さも和らいでいますが、高原はさらに涼しく、朝は寒いぐらいです。たくさんの鳥の鳴き声をバックに、このブログを書いています。
106名の小学生、このためにアメリカの教会から来てくれた韓国のクリスチャン青年たち…全部で170名ぐらいで4日間を過ごします。日本語、英語、韓国語、それに昨日は中国語まで飛び出して、とてもインターナショナルなキャンプです。

 「みことばの光」を用いての聖書通読は、きょうから旧約聖書歴代誌第二に戻りました。イスラエル王国が一つの出来事、一人の返事で2つに分裂するという箇所を読んでいます。
 ソロモン王の息子、レハブアムのことを想像してみました。何かと名前が出てくる祖父ダビデ、大きな事業を成し遂げ、知恵と富とで世界中に名を馳せた父ソロモンの後継者として、レハブアムが感じていたプレッシャーは相当のものではなかったでしょうか。
 こんな時に、ヤロブアムに率いられた民の要求にどう答えるのか。レハブアムは「自分流」を打ち出すチャンスだと考えたのかもしれません。国家の分裂を招きかねない大切な決断をするべき時に、主に問うことなく、父ソロモンに仕えた長老の助言に耳をかたむけることなく、彼は自分に仕える若者の意見を採用してしまいます。

 「全イスラエルは自分たちの天幕に帰って行った」が心に留まりました。決別を示す悲しい一文です。






神とみことばとにゆだねて…

2011年07月26日 | 使徒の働き
使徒の働き20章25-38節

 通っている教会の入り口にある桃の木の実が色づいてきました。 Photo
以前にも書いたかもしれませんが、郷里福島の桃を食べた後、妻が種を埋めておいたところ目を出し育った桃の木です。4月のはじめには美しい花を、そして今頃は実りをもたらしてくれます。色に誘われてもいで食べましたが、まだちょっと固めでしたね。
 ところで、桃は「水蜜桃」というほど柔らかなものがおいしいというのが普通ですが、私は硬めの桃が好きです。ほおばってパキッと音がするぐらいの硬さの桃も、なかなかなものです。一度御試しあれ。と言っても、お店に並んでいる頃にはもうかなり柔らかくなっていますね。

 きょうは、エペソの長老たちとのの告別の箇所を読みました。
 三年にわたって、エペソに福音の種を蒔き、育つようにと教え群れを養ったパウロは言います。「私は、すべての人たちが受けるさばきについて責任がありません。」つまり、神のご計画の全体を残らずに伝えたということなのです。しかし、そのパウロが去ろうとしているのです。

 エペソの教会にとってパウロは特別な存在です。しかし、どんなに優れたリーダーでも、いつまでもそこにとどまることはできません。けれども、パウロは行きます。神と神のみことばとに彼らをゆだねて…。
 人間同士の絆の強さを強調しすぎると、なかなかこうは行きません。しかし、教会とはそのようなものによって結び合わされているのではない、ということを改めて考える一節でした。

 今日から金曜日まで長野に行きます。小学生のお友だちと一緒に過ごし、みことばを届けます。お祈りしていただければ大変心強いです。



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