みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

神の宮の門口に立つ

2011年04月29日 | 歴代誌第一
1歴代誌9章1-27節

 復活の主の平安がありますように。

 4月29日は、通っている教会のバザーの日。気温は低めですが、絶好の「バザー日和」です。ブログを更新している部屋の階下では、行田のぞみ園のご家族が赤飯を作成中。にぎやかな笑い声が聞こえてきます。
 今回のバザーの収益は、すべて大震災被災地のために送られることになっているので、いつもよりもさらに意気込みが違う、そんな印象です。
 朝、一本だけあるぶどうの若葉が一面に。写真をアップしておきます。Photo

 1歴代誌9章は「全イスラエルは系図に載せられた」ということばで始まります。さあ、これから神の民として礼拝を再建していくのだという意気込みが感じられます。しかも、「いろいろなことがあったけれども…」とお茶を濁すことなく、「ユダは、不信の罪のために、バビロンに捕え移されていた」と明記します。
 罪を犯した人々が、神のあわれみによって贖われて、再びエルサレムに住み着くことができる…。これを忘れてはならないということなのです。
 
 印象に残ったのは、エルサレムの神の宮の門衛たちです。「彼らは神の宮の回りで世を過ごした。彼らには任務が課せられており、彼らは朝ごとに鍵を開けた」(27節)とあります。
 「まことに、あなたの大庭にいる一日は千日にまさります。私は悪の天幕に住むよりはむしろ神の宮の門口に立ちたいのです」という詩篇84篇10節のことばを思い起こしました。
 「朝ごとに鍵を開ける」とは、私たちにとってどのようなことなのでしょうか。



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