マルコの福音書3章13-19節
5月末日。早くも梅雨の中休みでしょうか。晴天の朝を迎えました。朝早くの祈祷会のあと見ましたら、教会の玄関脇のガクアジサイが色づいていました。立ち止まって凝視すると、見過ごしていたいろいろなものの美しさやこまやかさにハッとします。もったいないなぁ。
きょうの箇所には、イエスが12弟子を任命されたことが記されています。「みことばの光」は、イエスが弟子として任命された三つの目的をまとめています。
第一は、身近に置くため。
第二は、遣わして福音を宣べさせるため。
第三は、悪霊を負い出す権威を持たせるため。
12人はいろいろな表情を見せてくれます。たとえば、マタイはローマのために徴税する取税人。一方の熱心党員シモンはローマにいのちを賭して反抗する人々の中にあった者です。ですから、マタイとシモンとは敵同士だとも言えます。バークレーという人は「もしシモンが他の状況のもとでマタイに出会っていたなら、マタイを殺していただろう」と書いています。
そのような者たちがイエスに召されたということは、教会の姿にも投影されるのではないかと考えました。違っているといっしょにやりにくいものです。どうしてこんなにも違うのだろうかと悩む時、「だからイエスの名のもとに集められたのだ」とうなずかされるのですね。
5月末日。早くも梅雨の中休みでしょうか。晴天の朝を迎えました。朝早くの祈祷会のあと見ましたら、教会の玄関脇のガクアジサイが色づいていました。立ち止まって凝視すると、見過ごしていたいろいろなものの美しさやこまやかさにハッとします。もったいないなぁ。
きょうの箇所には、イエスが12弟子を任命されたことが記されています。「みことばの光」は、イエスが弟子として任命された三つの目的をまとめています。
第一は、身近に置くため。
第二は、遣わして福音を宣べさせるため。
第三は、悪霊を負い出す権威を持たせるため。
12人はいろいろな表情を見せてくれます。たとえば、マタイはローマのために徴税する取税人。一方の熱心党員シモンはローマにいのちを賭して反抗する人々の中にあった者です。ですから、マタイとシモンとは敵同士だとも言えます。バークレーという人は「もしシモンが他の状況のもとでマタイに出会っていたなら、マタイを殺していただろう」と書いています。
そのような者たちがイエスに召されたということは、教会の姿にも投影されるのではないかと考えました。違っているといっしょにやりにくいものです。どうしてこんなにも違うのだろうかと悩む時、「だからイエスの名のもとに集められたのだ」とうなずかされるのですね。