哀歌5章
昨日、「みことばの光」のことで聖書同盟事務所に向かおうと駅に着いてみると、電車が止まっています。人身事故があったとのことでした。やっと来た電車は超満員。このまま1時間乗るのはちょっと…、と思い次の次の電車まで待ちましたら、今度は座ることができました。
次女も電車通勤ですが、昨日は行きは私と同じ事故の影響で1時間遅刻とのこと。さらに、帰りも人身事故出遅れたといいます。散々な一日だったようです。「家が遠いよ」というつぶやきが聞こえてきそうです。
今日で哀歌の通読を終えます。
5章は、「主よ」という呼びかけから始まる祈りです。「私たち」は、自分たちがどれほどの苦しみを受けているかを訴えています。大切なのは、「私たち」が苦しみの原因を自分たちの罪にあると言っていることです。
「私たちの先祖は罪を犯しました」と祈り、しかしその罪を先祖たちにかぶせて「自分たちはそのとばっちりを受けているのです」などと祈ることはしていません。「私たちが罪を犯したからです」と告白しています。
そして、この告白こそ希望への一歩。自分のみじめさを見つめたその視線を、天に向け、「しかし、主よ」と祈ることができるのです。そして、帰るための道はすでに備えられています。
「私たちは帰りたいのです」との祈りが、世界中から、日本中から、この街から、そして教会から、私たちからささげられますように。
昨日、「みことばの光」のことで聖書同盟事務所に向かおうと駅に着いてみると、電車が止まっています。人身事故があったとのことでした。やっと来た電車は超満員。このまま1時間乗るのはちょっと…、と思い次の次の電車まで待ちましたら、今度は座ることができました。
次女も電車通勤ですが、昨日は行きは私と同じ事故の影響で1時間遅刻とのこと。さらに、帰りも人身事故出遅れたといいます。散々な一日だったようです。「家が遠いよ」というつぶやきが聞こえてきそうです。
今日で哀歌の通読を終えます。
5章は、「主よ」という呼びかけから始まる祈りです。「私たち」は、自分たちがどれほどの苦しみを受けているかを訴えています。大切なのは、「私たち」が苦しみの原因を自分たちの罪にあると言っていることです。
「私たちの先祖は罪を犯しました」と祈り、しかしその罪を先祖たちにかぶせて「自分たちはそのとばっちりを受けているのです」などと祈ることはしていません。「私たちが罪を犯したからです」と告白しています。
そして、この告白こそ希望への一歩。自分のみじめさを見つめたその視線を、天に向け、「しかし、主よ」と祈ることができるのです。そして、帰るための道はすでに備えられています。
「私たちは帰りたいのです」との祈りが、世界中から、日本中から、この街から、そして教会から、私たちからささげられますように。