詩篇 100篇
5月はきょうが最後の日、コロナで開けた2021年も5か月過ぎてしまうのだという、不思議な感慨があります。あっという間だったという思いが浮かんできます。
礼拝の初めの『招詞」として読まれることの多いのがこの詩篇ではないでしょうか。
使用している聖書の大改訂によっても、本篇は3節の「牧場の羊である」が「牧場の羊」と変更しただけなので、暗唱していたことばがスラスラと出るのは嬉しいことです。幼稚園のお友だちも一生懸命覚えていましたが、意味はよく分からなかったことでしょう。でも、何かの拍子に覚えていた聖書のことばが湧いてくる、などということがあるかもしれません。
今回、『全地よ」という最初のことばが心に留まりました。この詩篇は神を賛美しようという呼びかけ、招きなのですが、その呼びかける相手が『全地」なのです。
信仰者に「主に向かって喜びの声を上げよ、喜びをもって主に仕えよ」と呼びかけるのは当然だと思うのですが、本篇では、『全地」に呼びかけられているのです。神を主と、王として信じあがめている人々、住む所だけではなくて、そうでないところに住む人々にも主を賛美することが呼びかけられている…。
ということは、どこにでも神は目を留め、心に留めてくださっているのだということではないか、ということに気づきました。私たちが目を留めることのない人をも神は心に留めてくださるのだという思いがあるのかと問われます。
神の支配が及び、喜びの声を上げよと呼びかけられている地で、どのように生きていくのかと考えると、狭くなりがちな視野が拡げられます。