みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

地を満たすもの

2014年09月25日 | イザヤ書
イザヤ書 11、12章


 NHKの朝の連続テレビドラマ「花子とアン」ももうすぐ終わりですね。それで、電子版の「赤毛のアン」(村岡花子訳)を買い求めて読んでいます。そのおもしろいこと! 

 いつも想像を巡らしては失敗し、その度に成長していくアン。美しくなりたいと髪の毛を染めてみたら…などという箇所を読みながら笑いをこらえ切れず、そばにいる妻を笑わせています。
 戦争中に翻訳したとされていますが、訳者自身がどんな思いで翻訳し続けたのかを想像するだけでも興味が湧きます。

 11章もクリスマスの直に読まれることの多い箇所です。
 エッサイの根株から生えた新芽がやがてどのような実を結ぶのか、それは約束の救い主が何をこの世界にもたらすのかを読む者に垣間見せてくれます。

 「狼は子羊とともに宿り、ひょうは子山羊とともに伏し、…」との世界とはいったいどのようなものなのかを想像してみます。喰われる側と喰う側という関係が一変するする日が訪れるのです。ここにある動物世界の共生が実現する時には、民族間の争い、富む者と貧しい者、強い者弱い者、競争し、争い、押しのけ、殺戮するような人間世界には何が起こっているのでしょう。
 人間は自分たちの英知や努力によって、6-9節に描かれていることを実現することはできなかったし、これからもできないでしょう。悲観的でしょうか。

 望みはエッサイの根株から出る新芽にかかっている…。
 ここに、この方にのみ希望があるのです。
   

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