みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

勝利が嘆きに

2014年09月03日 | サムエル記第二
サムエル記第二 19章1-23節


 昨日の夕方、にわか作りのバンドの練習に参加しました。
 15日の祝日に教会である音楽イベントに出演しようと、おじさんおばさんが練習をしているという次第。私…ですか? ギターをチョロンと弾くだけです。ハーモニカの音色がとても素敵な曲です。さて、どうなりますやら…。

 謀反を平定し勝利に沸くはずのダビデ陣営ですが、わが子アブシャロムの死を悲しむ王を気遣い、民の間にはまるで敗北して戻って来たかのような空気が漂っています。王が民を顧みるべきなのが、ここでは民が王に気遣っているのです。顔を覆うダビデには民の姿は目に入りません。大声で泣き叫ぶダビデには民の声は耳に届きません。

 民と王との間の深い溝のようなものを感じ取ったのでしょうか、ヨアブはダビデに諌言(かんげん)します。よくもここまではっきりと言えるものだと思うほどの「直球」をダビデに投げつけるのです。「もしアブシャロムが生き、われわれがみな、きょう死んだのなら、あなたの目にかなったのでしょう」とはとげのある厳しいことばです。
 ダビデはヨアブに促されて民の前に出るのですが、どのような思いだったのでしょうか。
 
 この時にヨアブが放ったことばは、いちいちもっともなのですが、ダビデの心の傷となりました。アブシャロム側の軍団長だったアマサに「あなたは、私の骨肉ではないか。もしあなたが、ヨアブに代ってこれからいつまでも、私の将軍にならないなら、神がこの私を幾重にも罰せられるように」(13節)とのことばからは、ダビデがヨアブをどのように思っていたのかを垣間見ます。

 ヨアブのもっともな理屈の底にヒンヤリとしたものを感じるのですが…。
 


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