みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

もうだめだ

2014年09月20日 | イザヤ書
イザヤ書 6章

 
 きのうは月一度の特養ホームでの宣教。ホームの周りの田んぼでは稲刈りが盛んでした。Img_2361
こんな干し方、きっとお米がおいしいことでしょう。

 この章は、イザヤが預言者として遣わされるようになった時のことを伝えています。
 「みことばの光」が書くように、ウジヤ王の死は北王国イスラエルと南王国ユダにとっての大きな転機でした。このような時、イザヤが召されるのです。

 神を見、「ああ、私は、もうだめだ」と汚れに恐れるイザヤを主はきよめ、遣わされるために主はイザヤをきよめ、神のことばを語るために主はきよめられるのです。
 「もうだめだ」と新改訳聖書が訳すことばを、新共同訳聖書は「災い」だと訳します。自分の罪の汚れに悲しみ、絶望していることを表すことばです。

 神の聖さの前に、自分がどんなに汚れた者なのかを徹底的に知らされるところから、イザヤの預言者としての道は始まったのだと思います。「だめだ」が希望への一歩。
 改めて思ったのは、罪、汚れをきよめるのは自分ではなくてきよい神さまだということです。
 
 ちょっと風邪を引いたかなという体調です。お互い大事にいたしましょう。
   

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