みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

私を通して語り…

2014年09月09日 | サムエル記第二
サムエル記第二 23章1-19節


 「百万人の福音」(いのちのことば社)の中の「明日へのピクニック」というコラム、9月号では森住ゆきさんが「行田のぞみ園の人々」を描いておられます。近くにいる者としてうなずくこと多し。機会がありましたら、読んでみてください。

 この章は「これはダビデの最後のことばである」から始まります。「やはり…」と言いますか、ダビデは神を語ります。
 心に留めたのは「主の霊は、私を通して語り、そのことばは、私の舌の上にある」ということば。ダビデは、神がお語りになることを願い、伺い、従って来ました。生涯多くの詩を謳ったダビデのことを考えると、確かに主はダビデを通してお語りになったとうなずきます。
 それだけでなくて、神のことばを聴きたいと願い、それに従おうとする者を通して、神はご自分のことばを語られるのだということも考えるのです。

 本日の[みことばの光」の終わりには、「人生の最後にどんなことばを遺すだろうか」との問いかけがあります。それは、神はあなたの生涯を通して何をお語りになったのだろうかと言い換えてもよいのでは…と受け止めました。
 さて、私によって主は何を…?

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