みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

完全な者とされ

2014年09月30日 | ヘブル人への手紙
ヘブル人への手紙 5章


 安全を図ろうと、私たちはいろいろな手段を講じ、システムを構築してきました。今回の御嶽山の噴火に際し、「予知はできたのでは…」との質問に噴火を予知するための会議を司る方が答えた「私たちの予知はこんなもの」ということばが響きました。
 完全なものはないのだと改めて知らされます。

 9節の「完全な者とされ」ということばを心に留めました。
 「この表現は、キリストが完全でなかったときがあったことを示唆すると決して理解してはならない。人間としての生涯で、イエスの持つ完全さが試みられたのである。その完全さには、苦しまれたあらゆる事柄を通しても、一点のしみも存在しないのである。」(ガスリー)

 キリストが完全であられるので私たちのようなものが完全に救われると、この手紙の作者は伝えているのです。考えてみますと、神から遠く離れ神の心を踏みにじるような罪人が救われるというのですから、そのための仕組みといいますか、救ってくださるお方が完全でなければならないのだというのです。

 イエスさまを救い主だと信じるならば、一点の曇りもなくその人は救われる、完全に救われるのです。こんなにも在り難いことはありません。

 9月はきょうで終わり。矢のように日々が過ぎていきます。

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