![その姿の消し方(新潮文庫)](https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/316L8TzRhqL.jpg)
こんなのいったい誰が読めるんだろう。
私は読めるけど。
そのような読み方がこの本の唯一の読み方のように思える。私だけにしか読めないという特権的な気分にさせる。
『嘔吐』の作者の名前が書かれていないので、サルトルであることと『嘔吐』の簡単なあらすじくらいは頭に入っていないといけないし、フランス語も少しくらいは知っていないといけない。フランスでの生活も少しは経験していたほうがいい。
そのような感じで、とても入口が狭い本であるように感じる。
誰が読めるんだろうと思う。
葉書に書かれていたという、十行の詩のようなものも、いったいなんだろうと思う。元のフランス語の詩があって、それを語り手が無理矢理日本語に置き換えたという体裁だが、そんなことあるだろうか。
試しに私は、日本語の十行の詩をフランス語に置き換える作業をやってみたのですが、どう頑張っても単語の数も音もきれいに詩のようにまとめることは出来なかった。というのはまるっきり嘘なのですが、やはりこれは先に日本語の詩を堀江敏幸が書いて、それを小説のなかで使っているということなのだろうと思う。
しかしこんな奇妙な話をきっちり構成して、いったいなにがやりたかったのだろう。
お洒落な雰囲気で上手に書いてあるので読んでいられるが、そこに何かあるのかと言えばちょっと怪しい。
そこの怪しさがいまのところ僕にとって堀江敏幸の魅力です。