ダブログ宣言!

ひとりでするのがブログなら、
ふたりでするのがダブログ。

堀江敏幸『その姿の消し方』

2021年05月06日 21時43分59秒 | 文学
堀江敏幸『その姿の消し方』(新潮文庫)を読んだ。
こんなのいったい誰が読めるんだろう。
私は読めるけど。
そのような読み方がこの本の唯一の読み方のように思える。私だけにしか読めないという特権的な気分にさせる。
『嘔吐』の作者の名前が書かれていないので、サルトルであることと『嘔吐』の簡単なあらすじくらいは頭に入っていないといけないし、フランス語も少しくらいは知っていないといけない。フランスでの生活も少しは経験していたほうがいい。
そのような感じで、とても入口が狭い本であるように感じる。
誰が読めるんだろうと思う。
葉書に書かれていたという、十行の詩のようなものも、いったいなんだろうと思う。元のフランス語の詩があって、それを語り手が無理矢理日本語に置き換えたという体裁だが、そんなことあるだろうか。
試しに私は、日本語の十行の詩をフランス語に置き換える作業をやってみたのですが、どう頑張っても単語の数も音もきれいに詩のようにまとめることは出来なかった。というのはまるっきり嘘なのですが、やはりこれは先に日本語の詩を堀江敏幸が書いて、それを小説のなかで使っているということなのだろうと思う。
しかしこんな奇妙な話をきっちり構成して、いったいなにがやりたかったのだろう。
お洒落な雰囲気で上手に書いてあるので読んでいられるが、そこに何かあるのかと言えばちょっと怪しい。
そこの怪しさがいまのところ僕にとって堀江敏幸の魅力です。
コメント

堀江敏幸『雪沼とその周辺』

2021年05月04日 15時18分20秒 | 文学
堀江敏幸『雪沼とその周辺』(新潮文庫)を読んだ。
いつも秋田のなまはげのようにおもしろい本はないかと探しているのだが、この本は雑誌「&Premium」に出てきたと思う。誰の推薦かは忘れてしまった。
『雪沼とその周辺』は連作短篇集で、それぞれの短篇で誠実にきちんと仕事をする人が登場する。そこがいいのだろう。どれがもっともおもしろいということはなかった。全体的にきちんとよく出来ている。
が、どれも終わり方が僕には「短篇小説ってこういうふうに終わるものだったっけ?」と思わせるものだった。もう少し長く続くものじゃないかなと思った。しかし外国のお洒落な短篇小説はこのように終わるのかもしれない。
ちょっと最近の外国のお洒落な短篇小説を確認のために読んでみたくなった。
堀江敏幸のものは、続けて読んでみても良いと思った。興味がある。
何に特に興味があるかと言えばこのひとが性(はっきりと言ってしまえばセックス)をどのように描くのか興味がある。
どこかで追いつめられてセックスを描くようなことがあれば読んでみたい。
コメント

伊丹十三『再び女たちよ!』

2021年05月03日 17時59分49秒 | 文学
伊丹十三『再び女たちよ!』(新潮文庫)を読んだ。
気になっていた伊丹十三のエッセイ集を三冊読んでみたが、もっともおもしろかったのは最初に読んだ『女たちよ!』だった。読もうと思えばもう少し文庫で読めるが、もうこのへんでいいかな。
コメント

日野啓三「向う側」

2021年05月02日 01時00分39秒 | 文学
日野啓三の「向う側」(河出書房新社『日本文学全集21』所収)を読んだ。
日野啓三を読むのは初めて。これまで大岡昇平の日記などで名前を目にすることはあったが、書店で本を目にすることはないので読んだことがなかった。いまとなっては「忘れられた作家」という感じだろう。
「向う側」はベトナムと思われる場所が舞台で、失踪した男を探している男が最後は自分も「向う側」に行ってしまうという話なのだと思う。調査をし、それを会話文で報告するという書き方でちょっと格好いいが、何をしているのかあまり明確にはわからない。「向う側」というのが戦争している敵側という意味と、異界または死後の世界というような意味に掛けられているのだと思う。
池澤夏樹個人編集の『日本文学全集』には安部公房が単独では選ばれてないのだが、日野啓三はその代わりなのかもしれないなと思った。
そういう、思わせぶりな話であった。もう読まないと思う。
コメント

井上靖『石濤』

2021年05月02日 00時07分36秒 | 文学
井上靖の『石濤』に収録されている短篇小説を単行本が手に入りづらいので『井上靖全集 第七巻』(新潮社)を図書館で借りて読んだ。
単行本に収録されているものをすべて読もうかと思ったが、あまりおもしろそうではないものもあったので二つだけ読んだ。

「石濤」
石濤というのは清の時代の画家ということで、その絵を語り手の知らないうちに家に置いて帰った人がいて、約束の日になっても取りにこないという話だった。少し前に「墓地とえび芋」という短篇を読んだが、田黄という石でできたハンコを買いに行ったら骨董屋が死んでいたという話だったが、こちらは置いて帰ったあとに死んでしまったのではないか? と語り手が思う話だった。想像のなかで死者と会話をするというのは『星と祭』にも登場した手法だ。
アレルギーが出て、石濤が家からなくなるのと同じようにアレルギーも消える。

「生きる」
がんが見つかり入院し食道を取る。
そのあと『孔子』の連載の仕事をする。
ちょっと異界体験のような話にしようとしている努力が見られるがあまりおもしろくない。
コメント

伊丹十三『ヨーロッパ退屈日記』

2021年05月01日 18時12分54秒 | 文学
伊丹十三『ヨーロッパ退屈日記』(新潮文庫)を読んだ。ずいぶん前から気になっていたのだが、やっと読むことが出来た。
古い本なので(これより古い本なんて幾らでもあるので、この場合の「古い」というのは自分と地続きでいながら「古い」というような意味だが)いま読むと、どういうことなのかよく分からないものも多かった。大卒の給料はいくらでそれを外国人に言ったら驚くだろうというようなことを書いていたが、どういうふうに驚くのかわからなかった。多いと言って驚くのか、少ないと言って驚くのか。
紋切り型の言葉も、ずいぶんわからなかった。「恐れ入谷の鬼子母神」と「社会の窓」と「ケイコートー」くらいは聞いたことがあるが、その他は知らない。日曜日を「ネテヨービ」なんて少し笑ってしまった。

『女たちよ!』のほうがおもしろかった。
コメント