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日野啓三「向う側」

2021年05月02日 01時00分39秒 | 文学
日野啓三の「向う側」(河出書房新社『日本文学全集21』所収)を読んだ。
日野啓三を読むのは初めて。これまで大岡昇平の日記などで名前を目にすることはあったが、書店で本を目にすることはないので読んだことがなかった。いまとなっては「忘れられた作家」という感じだろう。
「向う側」はベトナムと思われる場所が舞台で、失踪した男を探している男が最後は自分も「向う側」に行ってしまうという話なのだと思う。調査をし、それを会話文で報告するという書き方でちょっと格好いいが、何をしているのかあまり明確にはわからない。「向う側」というのが戦争している敵側という意味と、異界または死後の世界というような意味に掛けられているのだと思う。
池澤夏樹個人編集の『日本文学全集』には安部公房が単独では選ばれてないのだが、日野啓三はその代わりなのかもしれないなと思った。
そういう、思わせぶりな話であった。もう読まないと思う。
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井上靖『石濤』

2021年05月02日 00時07分36秒 | 文学
井上靖の『石濤』に収録されている短篇小説を単行本が手に入りづらいので『井上靖全集 第七巻』(新潮社)を図書館で借りて読んだ。
単行本に収録されているものをすべて読もうかと思ったが、あまりおもしろそうではないものもあったので二つだけ読んだ。

「石濤」
石濤というのは清の時代の画家ということで、その絵を語り手の知らないうちに家に置いて帰った人がいて、約束の日になっても取りにこないという話だった。少し前に「墓地とえび芋」という短篇を読んだが、田黄という石でできたハンコを買いに行ったら骨董屋が死んでいたという話だったが、こちらは置いて帰ったあとに死んでしまったのではないか? と語り手が思う話だった。想像のなかで死者と会話をするというのは『星と祭』にも登場した手法だ。
アレルギーが出て、石濤が家からなくなるのと同じようにアレルギーも消える。

「生きる」
がんが見つかり入院し食道を取る。
そのあと『孔子』の連載の仕事をする。
ちょっと異界体験のような話にしようとしている努力が見られるがあまりおもしろくない。
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