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☆サガン「悲しみよこんにちは」感想 (臈たし工藤夕貴煙草吸いつ眺めつ)

2009年11月15日 22時06分50秒 | 文学
大河ドラマ「天地人」は次回が最終回。
大坂冬の陣と夏の陣が一回の放送で終わった。しかも真田幸村しか登場しなかった。ほかにもいろいろとあっただろうに。
司馬遼太郎の「城塞」(上・中・下)を僕はかなり時間をかけて読んでいていまだにまだ読み終えていないのだが、大坂冬の陣と夏の陣はこんなにあっけないものなのだなと思った。
徳川家康が「ごめんなさいと言えなかった子がごめんなさいと言えた」というふうなところに陥れられていて気の毒だった。私には上杉の義というものがどういうものか結局理解できないままだ。直江兼続のことはあまり好きになれない。

悲しみよこんにちは (新潮文庫)サガンの「悲しみよこんにちは」(新潮文庫)を読んだ。
たしか工藤夕貴だったと記憶しているのだけれど、彼女主演で「悲しみよこんにちは」をテレビドラマ化していたように思う。それで、ドラマの最後で少女だった工藤夕貴が誰かをはめて海で溺死するようにして、それを煙草を吸いながら眺めるというようなものだったような気がするが、この小説の主人公セシルは誰も殺さなかった。アンヌが事故で死んだ。
この小説の結末を勘違いしたままにならなくてよかった。
読みやすかったが、とくに面白いと思ったところもなく、ただ「ふーん」と思いました。
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☆サガン、ベルクソン、坂部恵

2009年11月15日 00時35分10秒 | 文学
ここ最近はずっと大江健三郎の小説を読んでいたのだが、いまはサガンの「悲しみよこんにちは」を読んでいる。
ずっと肉料理をむしゃむしゃ喰っていたのに突然麩の入っただけのすまし汁が出てきたような感じ。較べてみると大江健三郎の凄さがわかる。
サガンのこの小説は、初めて読みますが、少女の、ここにこのまま留まっていたい感じがよく出ている小説、とでも言えばいいんでしょうか。死んだ母親の代わりが現れて、父親と自分だけの自由な暮らしが変わってしまう、それに対する反抗、が描かれているのだろうと思う。いまのところ(84頁)そんな印象です。
書店でぱらぱらとめくったときに「ベルクソン」の文字に目がとまり、ベルクソンについて語っているのか、と思いそこを楽しみにしていたんだけれど、哲学の勉強は嫌だというその代名詞としてベルクソンが登場するだけのようだ。しかも「ベルクソン」が頻出する。

ちょっと喰い足りない感じなのでたまに図書館で借りてきた「坂部恵集」を読んでいる。
性格というのはそのひとの中に内面というか性格があって、それが外に現れ出たものだ、と思われているが、それは違って、ひととひととが触れるときそこに性格が出来上がるものだ。固定的な内面というものはない。というようなことを語っているのだろうと思う。
全面的に賛成です。
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