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☆「大江健三郎 作家自身を語る」

2009年11月17日 00時19分39秒 | 文学
大江健三郎 作家自身を語る大江健三郎のインタビューをまとめた「大江健三郎 作家自身を語る」(新潮社)を図書館で借りて読む。
滅茶苦茶おもしろかった。感動的でもある。
これはものすごく面白いので文庫化されたら絶対に購入しようと思う。
以下おもしろかったところを抜き出す。

《ある日ふと、自分のめがねはどうも読書に向かない、という気がしてきたんです。そこで本をよく読んだ人たちの写真を探して見ていった。すると作家も学者も、だいたい丸めがねをかけている(笑)。折口信夫とか柳田国男、ジャン=ポール・サルトルとか、ジョイスとか。(中略)それで私はね、同じものを十個買ったんです。十個ともレンズを入れてもらって、ずいぶんの値段でしたよ。》(184頁)
このような話は初めて聞いた。僕も丸めがねにしようか、とふと思った。

《瀧井孝作とか、志賀直哉でも尾崎一雄でもいいですが、こういう人たちは、現実の自分と、自分が書く人物を、かたく結び付けなければならないという律義さに駆られていたと思いますね。こうした私小説家はもとより、私小説家ではないと目されている人の作品にも、やはりかれ自身に似た人物が出てくると、それは書かれた自分としての「私」からハミ出さない場合が多い。》(261頁)
自分で作っておきながらそのイメージが自分と重なると格好悪いことがさせられなくなってしまうというのは重要な指摘だと思う。

《渡辺一夫さんから、日記を書くのは良いがある時期がたてば焼き棄てるように、といわれそうしています。》(291頁)
「今、一番用心していらっしゃることは?」の質問に、
《渡辺一夫さんの言葉「自分の思い込みの機械になる」こと。老年とは、まさにその方向に向けて下降することのようですから。》(307頁)
大江健三郎にとって、渡辺一夫は大きい存在なんだなあ。
しかし渡辺一夫は確かにすごいんじゃないかと思い、興味を持ってしまった。言ってることが確かにすごい。

さてさて、今後大江健三郎を読もうかどうしようかちょっと迷っているんだけれど、「「雨の木」を聴く女たち」などの短編を読んでいってもいいかな、と思った。一度読んだときに好きだったし。
そして、大江健三郎の影響を受けて、ということもあり、ドストエフスキーを読んでいこうと思っている。まずは「白痴」。
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