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☆思わせぶりな先生

2008年11月26日 23時07分55秒 | 文学
よく、他人にとってのさまざまなことを自分にとっての本だと置き換える。そうするといろいろなことに納得がいくということがある。
例えばコンビニエンスストア。
僕にとってはコンビニはどの店も同じなのだが、コンビニを利用する人にとっては店名によって大きな違いがある。
パチンコ屋にも行かないのだけれど、好きな人にはそれぞれの店の特徴がある。
コーヒーの味の違いも分からずどれも苦いだけだが、好きな人は大きな違いを感じている。
自動車のかたちは軽自動車と普通車とオート三輪の形状の違いくらいしか判らない。色の違いは少しはわかる。
そういうことを僕にとっての本に置き換えて、岩波文庫と新潮文庫は違う、角川文庫は全く違う、というようなことなのかな、と思えばなんとなくわかる。他人に優しくなれる。
今日、テレビがつまらなくてふとなんか読もうかと思い、本箱を漁った。
何冊かを同時に読むことが多く、しかも次に読む本が決まっていることも多く、読む本がなくて探すということが滅多にないので新鮮な感覚だった。
これは、世間で言う「女を切らしたことがない」「男を切らしたことがない」という感覚に近いんじゃないかと思った。
私は本を切らしたことがない。
しかしこれを自慢として聞いてくれる人はあまりいそうにない。

夏目漱石の「こころ」を手にとった。
先生は自分のことを知って欲しいのだろうか、知って欲しくないのだろうか。知って欲しいとしか思えない。
《あなたは死という事実をまだ真面目に考えた事がありませんね》
《「なぜです」と私が代りに聞いた時先生は「天罰だからさ」といって高く笑った。》
《しかし……しかし君、恋は罪悪ですよ。解っていますか》
このような発言を繰り返すひとが実際にいたら、鼻持ちならねえと思って決して近づかないのだが、先生はとても興味深い。
最初の方で、語り手が自分が先生に以前どこかであったように感じるから先生もそのように感じているはずだと思っていると、先生の反応が存外冷淡なのに失望するところがあって、「あー、あるある」と思った。
先生が死ぬことは最初のほうから分かっているんだな。
漱石ってほんとにいいです。

会社帰りに本屋に寄り、島崎藤村の「家」を立ち読み。
岩波文庫も新潮文庫も字が小さい。大きくなるのを待つことにする。
大きくなれよ~。(昭和の名作CMより)
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