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山下聖美『新書で入門 宮沢賢治のちから』

2017年05月13日 21時45分19秒 | 文学
山下聖美の『新書で入門 宮沢賢治のちから』(新潮新書)を図書館で借りて読む。
このところ宮沢賢治を読んでいるのはこの人が出演していたNHKの番組「100分de名著」の再放送を見たことと、映画『シン・ゴジラ』に詩集『春と修羅』が思わせぶりに置かれていたことに始まるので、発端のひとつである山下聖美の本を読んでみた。
やはりこういう本の特徴で、宮沢賢治のことを語ろうと思えばどうしても「デイヴィッド・カッパフィールド的なしょうもないあれこれ」(『キャッチャー・イン・ザ・ライ』)から話が始まる。つまり子供時代とか両親の話とか祖父母の話。
作品のことにもう少し詳しく入り込んでくれたほうが興味が持てたような気もするが、どちらかといえば伝記的な話が多かった。
宮沢賢治が変人であったのだろうな、ということがよくわかった。文学者で変人というのはいろいろいるけれど、太宰治よりも永井荷風よりも変人のように思った。死ぬまで童貞というのがやはりインパクトがある。
この本では、宮沢賢治の弟の清六について多く書かれてあった。
現在、宮沢賢治が世間に広く知られたのは宮沢清六が上手く動いたからだという印象だった。それがちょっと悪意を持って書かれているように思った。嫌いなのだろうか。
どちらかというとこの本のタイトルは「宮沢清六のちから」としたほうがいいのではないかと思った。

読んでいると宮沢賢治が死んだのが昭和八年で、小林多喜二が死んだのと同じ年と書かれていて驚いた。いまから小林多喜二の母親の話を読もうとしていたから。
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宮沢賢治『注文の多い料理店』

2017年05月13日 09時31分15秒 | 文学
宮沢賢治『注文の多い料理店』(新潮文庫)を読んだ。

童話集『注文の多い料理店』のなかでは、小学生のころに国語の授業で読んだ「注文の多い料理店」が最も印象に残った。
懐かしいということもあるが、他にあまり印象に残るものがなかった。ただ、「山男の四月」のなかで、支那人に捕らえられた山男が、支那人に同情してもう自分は死んでもいいと思うあたりは宮沢賢治らしいのかなと感じた。

「ひかりの素足」は、最初のほうで弟の楢夫が不安を感じ、父親が自分に新しい着物を着せるとか母親が自分を洗ってくれるとか(それは死んだあとの葬儀の準備のことであるのだが)を予感し、そのことばに父親や兄の一郎も不安になってくる(そして読んでいていっしょに不安になる)のが印象に残った。
死後の世界に行き、そして片方だけが帰ってくるというところは「銀河鉄道の夜」と似ている。

「土神ときつね」は、自分の中のどうしようもない苛立たしさを描いたものように読めた。
神のように見られる自分(宮沢賢治)であるけれども、実は嫉妬して、誰かを殺してしまいたくなることもある、と言っているように読める。
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