宮沢賢治『注文の多い料理店』(新潮文庫)を読んだ。
童話集『注文の多い料理店』のなかでは、小学生のころに国語の授業で読んだ「注文の多い料理店」が最も印象に残った。
懐かしいということもあるが、他にあまり印象に残るものがなかった。ただ、「山男の四月」のなかで、支那人に捕らえられた山男が、支那人に同情してもう自分は死んでもいいと思うあたりは宮沢賢治らしいのかなと感じた。
「ひかりの素足」は、最初のほうで弟の楢夫が不安を感じ、父親が自分に新しい着物を着せるとか母親が自分を洗ってくれるとか(それは死んだあとの葬儀の準備のことであるのだが)を予感し、そのことばに父親や兄の一郎も不安になってくる(そして読んでいていっしょに不安になる)のが印象に残った。
死後の世界に行き、そして片方だけが帰ってくるというところは「銀河鉄道の夜」と似ている。
「土神ときつね」は、自分の中のどうしようもない苛立たしさを描いたものように読めた。
神のように見られる自分(宮沢賢治)であるけれども、実は嫉妬して、誰かを殺してしまいたくなることもある、と言っているように読める。
童話集『注文の多い料理店』のなかでは、小学生のころに国語の授業で読んだ「注文の多い料理店」が最も印象に残った。
懐かしいということもあるが、他にあまり印象に残るものがなかった。ただ、「山男の四月」のなかで、支那人に捕らえられた山男が、支那人に同情してもう自分は死んでもいいと思うあたりは宮沢賢治らしいのかなと感じた。
「ひかりの素足」は、最初のほうで弟の楢夫が不安を感じ、父親が自分に新しい着物を着せるとか母親が自分を洗ってくれるとか(それは死んだあとの葬儀の準備のことであるのだが)を予感し、そのことばに父親や兄の一郎も不安になってくる(そして読んでいていっしょに不安になる)のが印象に残った。
死後の世界に行き、そして片方だけが帰ってくるというところは「銀河鉄道の夜」と似ている。
「土神ときつね」は、自分の中のどうしようもない苛立たしさを描いたものように読めた。
神のように見られる自分(宮沢賢治)であるけれども、実は嫉妬して、誰かを殺してしまいたくなることもある、と言っているように読める。
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