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☆太宰治「斜陽」

2009年04月13日 00時46分47秒 | 文学
朝日新聞の読書欄で太宰治の「斜陽」について書かれていたのを読んだので、「斜陽」を読んでみた。
こんな話だったんだなあ。
たぶん読むのは四回目くらいなのだが、毎回話がつかめていないように思う。そして読むたびに「こんな話だったんだ」と思っている気がする。
思いつきのように話がすすんで、ところどころに「ああ、太宰治だなあ」と感じさせるところが出てくる。
《死んで行くひとは美しい。生きるという事。生き残るという事。それは、たいへん醜くて、血の匂いのする、きたならしい事のような気もする。》
《人間は、みな、同じものだ。
 なんという卑屈な言葉であろう。人をいやしめると同時に、みずからをもいやしめ、何のプライドも無く、あらゆる努力を放棄せしめるような言葉。》
このへんが心に残りました。
それから、思っていたよりも戦争の話だった。これは発見だった。
下に引っ張られて高貴に生きられない感じ、下品になっていくのを悲しむ感じ、がよく出ていた。
ニーチェが読みたくなった。

今日はNHKで鶴見俊輔のインタビューを見た。
この間読んだ「戦争が遺したもの 鶴見俊輔に戦後世代が聞く」(新曜社)と内容はほぼ一緒だった。ホワイトヘッドの最終講義の言葉「Exactness is a fake」の話も本で読んで知っていた。全く同じ話をするのだなあ。
「Exactness is a fake」という言葉に関して言えば、個人の性格にしても、歴史にしても、思想にしても、「こうだ!」と言われて提示されるものはすでにフィクションなのだなあと最近よく感じる。性格や歴史や思想などはもっとぼやっとした、液体みたいな、形のはっきり定まらないものなのだとよく思う。
本で読むよりも鶴見俊輔の凄さの分かる番組だった。
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